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ランジャタイという光と祝祭〜THE W→M-1グランプリ2021、ナンセンスは世界をひっくり返せるのか

音声配信56回目。まだ1週間しか経ってないのに誰も話題にあげなくなってしまったTHE W2021についての感想を話し、後半は12/19に迫ったM-1グランプリ2021のこと、特にランジャタイへの期待を語りました。

これまで”意味がわからない“という理由で評価の対象にすらされてこなかったナンセンスネタや不条理ネタが遂に賞レースに届くようになったこの時代。ランジャタイがM-1決勝で何を残してくれるのか、期待と不安で胸がはち切れそうになってます。ちょっとここからは文章でも語らせてください。


配信内でも触れているのですが、今年は先に言っておきたいのです。「ランジャタイは漫才である」と。論争の前にまずここに想いを書いておきます。

僕の中での漫才の定義、という話になるのですが大事な点が3つ。

漫才とは
・ステージにマイクが置いてある
・2人以上の人間がステージに出てくる
・極力何かに扮することなく、その人の状態を保ったままで面白いことが起きる(何かに扮して面白いことをする、をコントの定義としているので)

この定義からすれば、マヂカルラブリーは勿論のことランジャタイも当然、漫才です。どちらもボケは何者かに扮したり、何らかの設定の中に入りがちなのですがツッコミは違います。ボケの世界の外にいるのです。そしてツッコミはどちらもだいたいの時間で村上と伊藤という人物そのままです。

間違いなく漫才、なのですがやはりこの圧倒的なナンセンスさこそが今大会の博打枠となっている理由でしょう。言葉の意味が溶け出し、動きによって幻影が見え、物理法則や世界のルールなどないものとして面白いことが起こり続ける。奇声と奇動に戸惑い続ける男、という姿をした前衛芸術。そういった形状の漫才が大舞台で観れるのです。もうワクワクが止まらないです。

勝ちにいく、とか、方程式になぞる、とかはもちろんしないし、画期的なシステムを作るでも、関心するような裏切りを見せる、でもない。ただひたすらに面白いと思うことを並べ続けるランジャタイの在り方は、ここ数年特に競技漫才化しているM-1グランプリとは真っ向から反するものです。しかしウケてファイナリストになった。これが全てでしょう。定石を覆し、全てのお笑いを迷わせて欲しいのです。それはある意味、次のお笑いへと向かう希望の光だと思いますし、この疲弊した時代が望んだ、破壊と幸福の祝祭にランジャタイはなり得るのです。

きっと心ない言葉もぶつけられるはずです。何が面白いのか。何を言っているのか。これを面白いと思うなんて自分にセンスがあると思ってる奴だけだろ。ファンなのに、これくらいのことは言われるだろうという想像がついてしまう程にこの大舞台はリスキーなことだと思うのです。初めてランジャタイのネタを観る方に、1つだけ末端ファンからお願いです。どうか、彼らを感じて欲しいのです。"お笑い"という言葉を知らずに、訳も分からず笑っていたあの頃の気持ちで。言葉なんて、意味なんて分からずともなぜだかどうしようもなくおかしくて転げ回っていたあの日々の心で、ランジャタイを感じて欲しいのです。その方がいい。最後は笑顔でサヨナラしちゃお!!!!!!


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