ペンギン・ハイウェイと羊文学
映画「ペンギン・ハイウェイ」を観た。こじらせと怪奇に満ちた小説をたくさん発表してきた森見登美彦が2010年に出したSF小説が原作。小学生が主人公、関西が舞台じゃない、など、森見ワークスの中でも異彩を放っており、初めて読んだ時のインパクトは凄まじかった。色々とヘンすぎて。
映画版は、そのヘンなところを全く薄めることなく、ぶっ飛んだまま(いやむしろ更なる新解釈を加えて)アニメの世界に再構築していて、そこに大変シビれた。それでいて、夏休み映画として王道を突き抜ける仕上がりでもあり、冒険も恋も郷愁もこの奇天烈な物語の線上にきちんと織り込まれている。歪んだ世界に光るピュアさっていうバランスにグッときた。
岩井俊二の「打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか?」が永遠なのは、少年が夏を経た末に無意識の成長を遂げる様を決定的に描いてしまっている点だろうけど、「ペンギン・ハイウェイ」もそこに匹敵するくらい素晴らしいTransfer Girlな物語だった。まぁ、相手が少しお姉さんすぎるわけだけど、それもまた妙味。根っこにあるテーマが「あいたいきもち」なんだよ、こんなヘンテコな世界観において、核の部分が尊すぎるだろ。
こういう所謂ジュブナイルモノって、大人たちがあの頃を振り返り、よさげに手を加えて作り上げるものだと思うし、それを知ったうえで"懐かしさ"とかを感じるわけだけど、「ペンギン・ハイウェイ」は無茶苦茶な設定でありながらその遠い日々の匂いがしっかりある。誰もが持つ曖昧な記憶、その向こうにある思い出たちを引っ張り出してくるような。
、、、、みたいな大人の分析をよそに、「ペンギン・ハイウェイ」を観た子供たちは想像もつかない何かを得て夏休みへと帰っていくんだろうなぁ!僕なんて、勤務日に挟まれた休日に観てしまったがために、戻れないあの夏の日々に思いを馳せてヘンな涙を流してしまったよ。全く製作者の意図してない涙。オープニング、郊外をペンギンが駆け抜けるシーンでちょっとじーんときてた。
最近は、疲れてる時とか、大ハシャギしてる子供たちの姿を観るとめちゃくちゃ切ない気持ちになってしまう。いつかこの子も社会に飲まれて荒んでいくんだ、おかしな人間関係に心苦しめられるんだっていう確信があるから。大人になるってどんだけ虚しいんだよと。
平成最後の夏、羊文学というバンドの1stアルバム「若者たちへ」がとてもお気に入りだ。この作品は悲しくも美しい。それは僕の抱いてる虚しさを掬い上げてくれてるからだろう。20代、モラトリアムの終わり、不安まみれの生活の隙間にそっと入り込んでくる音楽だ。
「絵日記」にある<少年が空を指差す光景は夢の中、消えてしまうわ>、「夏のよう」にある<僕はあの日を辿って 泣いてばかりでごめんね>xほかにも数えきれないほど、"あの頃"から未来を見つめ、その未来が今となった時に覚える虚無を歌い連ねてある。終わりや死の迫りを感じ取れるような曲もたくさんある。
しかしそれでも、ギリギリのところで抱きしめてくれる。儚げで茫然と立ち尽くしているようだが、瞳はじっと先を見つめている。虚しき大人になっていく僕たちの居場所となってくれるような。このアルバムを聴いてなければ僕は「ペンギン・ハイウェイ」が持つ手に負えない永遠性に圧し潰されていたかも。
「ペンギン・ハイウェイ」で主人公の少年は、果てしない未来に期待を抱いている。しかし僕は残念なことに、もうそこまで未来に期待を持てない大人になってしまった。だから羊文学に赦してもらう。そして「ペンギン・ハイウェイ」に前の向き方を説きなおしてもらう。ポップカルチャーはいつもどこかで相互作用しあっている。
<僕らが憧れた未来予想のその先はドキドキするような未来を運ぶかい?/いつか来る時代に憧れた彼らの火をワクワクするような未来でつなぐかい?>
羊文学「天気予報」MV