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気高さを貫く/ASIAN KUNG-FU GENERATION『ライフ イズ ビューティフル』
ライフ イズ ビューティフル。ロベルト・ベニーニが1998年に監督・主演した映画。猛烈に多弁なお調子者の男グイドはそのどうかしてるアプローチ力で結婚し息子をもうけるが、第2次世界大戦下にユダヤ人ということでナチスドイツによってホロコーストの強制収容所に親子ともども連れていかれる。映画の前半と後半で全くトーンが異なる物語だが、グイドのお喋りだけは変わらない。息子に「これはゲームだ」と教え、辛い収容所の生活を乗り切ろうとする。軽口を叩き続ける男の揺るぎない気高さを映し出した映画だ。
ライフ イズ ビューティフル。「M-1グランプリ2021」の最終決戦、錦鯉がネタのオチ台詞に選んだ言葉だ。大暴れする長谷川雅紀を渡辺隆がとっ捕まえてゆっくりと横たえた後、たっぷりとした間を取って放たれたその一言は優勝を決定づけるに相応しい、彼らの歴史をひと言で捉えたものだった。年齢的にも芸歴的にも同世代の売れてこなかった芸人の多くが引退を選ぶ中で自分たちのやり方を磨き、貫き通した2人の全てが報われた瞬間をこの上なく言い当てていた。どんな局面においても人生は輝かせられることを体現していた。
ライフ イズ ビューティフル。ASIAN KUNG-FU GENERATIONが2025年2月19日にリリースした31枚目のシングルのタイトル曲である。来年結成30周年を迎えるアジカン。既にベテランの域に達しているバンドだが今なお精力的に活動を続け、円熟していながら瑞々しくもある新曲を作り続けている。前々アルバム『プラネットフォークス』の時代性、前シングル「宿縁」の怒り、前アルバム『サーフ ブンガク カマクラ』の郷愁、そのすべてを包み込むような温かさと力強さが「ライフ イズ ビューティフル」には刻まれている。
🪨
見事に偏った富も機会も
温かい毛布や言葉も
石ころ蹴飛ばしてそれで心が晴れることなんてないでしょう
「ライフ イズ ビューティフル」は雄大かつ勇ましいテンポで進む楽曲でアッパーさ一辺倒なわけではないが否応なしに昂る太く豊かなギターサウンドが特徴的だ。しかしそのポジティブなフィーリングの曲調やタイトルに反して、その大半は重たく現実を捉えた言葉が並ぶ。《石ころ蹴飛ばして》とはロックンロールを奏でることのメタファーだろう。音楽ではどうにもできない事象の多さを理解している。容易に絶望し冷笑できる世界だ。
ライフイズビューティフル
心の底から もう歌うには悲しみが
そこらでしたり顔
だけどライフイズビューティフル
そんなの綺麗事って生きるには僕たちが
それぞれに光る未来を信じているでしょう
そんな描写を引き継ぎ、サビで遂に歌われる「ライフ イズ ビューティフル」は悲しみを取り繕っているわけでも、怒りを誤魔化しているわけでもない、あらゆる感情を乗せたまま、それでも!それでも!という意地で綴られた祈りのようだ。“それでも人生は美しい”と信じることで道を開いていく。心理学的には「自己成就予言」とも呼ばれる、発した言葉の可能性を信じる態度がここに現れている。なけなしの、しかし確かな希望だ。
繋いでいたいよ
君の声が聞こえた日から萌える色
伸ばした手から漏れた粒が
未来を思って此処に光る
上に歌詞はアジカンが2003年にリリースしたメジャー1stシングル「未来の破片」の歌詞である。認められたい、自分たちの音楽を届けたいという想いが激烈なテンションで叫ばれる楽曲だが、ここには「ライフ イズ ビューティフル」にもある“未来”と“光る”という表現が見られる。僕から君へ繋ごうとする切実さで光る未来を要求してから20数年。《僕たちがそれぞれに》光る未来を希求するイメージへと磨き上がったのだろう。
🌟
『ライフ イズ ビューティフル』のカップリング曲「Beautiful Stars」はのんに提供した楽曲のセルフカバーだ。のんといえばかつて名前を奪われ、様々な活動が制限されてきた。この歌はそうした抑圧を跳ね返し《最高なんだ私》とありのままで歌うセルフラブの結晶である。美しく生き抜き、気高さを貫こうとする姿勢は表題曲にも通ずる。
どちらの曲も気を張った様子はなく洒脱さがありしなやかだが、同時に揺るぎないタフさも感じられる。これこそがこの時代に必要な在り方だ。迫る強い不安に対し、堅く構えすぎればポキっと折れてしまう。しかし柔らかくしなる心を持つことで苦しみや辛さを跳ね返し得るのだ。今のアジカンはそれを表現できる境地に立ったのだ。
ロベルト・ベニーニが映画の中で描こうとしたのもどんな理不尽に対してもユーモアで抗い続けるという意志表明だった。錦鯉が漫才の最後に放ったのはどう評価されようが構わないという自分たちの笑いの肯定だった。「ライフ イズ ビューティフル」とはそんなしなやかでタフな在り方に先に待つ、祈りと意志が一体化した言葉なのだ。
そもそも「ライフ イズ ビューティフル」とはソ連の革命家トロツキーの遺書に描かれていた言葉が原典とされている。肉体は衰え、またかつての同胞レーニンからの刺客に追われる亡命生活の中、青空と太陽を眺めながら「人生は美しい」と述べたのだという。その後に続く言葉も印象深い。これもまた未来を想うしなやかなタフさだろう。
人生は美しい。未来の世代をして、人生からすべての悪と抑圧と暴力を一掃させ、心ゆくまで人生を享受せしめよ。
ここ最近、後藤正文(Vo/Gt)はアジカンのリミットについて「あと干支一周」「60歳まで」と述べている。まだたっぷりあるとも言えるが、正直なところもうそんなに時間は無いと思ってしまう。当然もっとずっと続けて欲しいが、限りある時間の存在をこれまで何度も歌ってきたアジカンが遂に現実的なその終わりの時を見据えたことで今回『ライフ イズ ビューティフル」という言葉を導いたようにも思える。ならばやはりこの時代を共に生き、この曲が響く瞬間をできる限り共有していきたいと想う。もっと真っ直ぐに、その言葉を発せられる未来を願いながら生き続けたいと想う。
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