今週末(12/1)文学フリマ東京39です & 最終批評神話『exp.1』にこんな評論を寄稿しました
今週末、12/1(日)に東京ビッグサイトで開催される文学作品展示即売会・文学フリマ東京39にて頒布予定の評論/批評の同人雑誌『exp.1』に評論文「「羊文学と“轟音・女性ボーカルバンド”~閉じて開くためのベールについて」を寄稿しています。作家/批評家/編集者の村上裕一さんが主宰する「最終批評神話」のブースにて販売される予定となります。
本イベントと『exp.1』の基本情報は以下の通りになります。
開催日時:2024年12月1日(日) 12:00〜17:00
入場料:1000円(詳細)
ブースの場所:F-01 (西3・4ホール)
文学フリマ公式サイト:文学フリマ | 文学作品展示即売会
また全ラインナップはこちら。他の方が書いたものは未見なのですが、題だけでもかなり多彩な分野を扱う本になるのは明白ですね。自分としても早く他の方が書いた文章も読みたいものです。
2週ほど前に、告知記事としてもnoteは書いており、そこでは寄稿経緯や作成過程についてを記してました。そしてこの記事ではこの評論がどのような内容であるか?をこれまで書いてきた文章などを示しながらほのめかしてみようと思います。
導入:“幕”について
まず今回の評論の起点となったのは、羊文学が今年開催したツアー「“soft soul,prickly eyes”」。このライブレポートの中でも書いたのですが、そこで非常に独特な“8曲目で開く幕”の演出があり、観た時も「全然開かんなぁ」と思っていたのですが、それがずっと心に残り続けていました。
幕についてひとまずライブレポートの中でも解釈はしていたのですが、まだ何か重要なことが隠れいるように思い、今回の評論の起点にしました。そしてその演出を手がかりにしながら、羊文学の現在のポピュラリティはいかに成立したか?を考えていく文章へと展開していくことになります。
①“轟音・女性ボーカルバンド”の醸す神聖性
幕=聖なるものを守るベールという読みを行い、羊文学の持つ神聖性を探るのが論考の第1項になります。そもそもなぜ、羊文学のような“轟音・女性ボーカルバンド”(あくまで”シューゲイザーバンド“ではない点が重要です)は儚さや神聖性を強調するビジュアル展開やライブ演出が成されるのか。そのバンドたちが醸す神聖性は何に由来するのか?についてを分析する項となっています。
“神聖性”を紐解く上で参照したものがいくつかあります。まずは北出栞さんが責任編集を務める評論アンソロジー『ferne TWEI』。ここに収録されれいる門脇綱生さんの“遠泳音楽”についての言及を大きく参考にしています。
続いて能勢 伊勢雄『新・音楽の解読: ダダ/インダストリアル/神秘主義/ハウス/ドローンまで、誰も教えない音楽史』。この本のシューゲイザーにまつわる項を参考にしております。
またシューゲイザー専門メディア「Sleep like a pillow」も大いに参考にいたしました。
また、「文化・芸術の精神分析」という本における北山修氏の和太鼓にまつわる記述を“神聖性”へのヒントとして大きく引用しました。本職のフィールドからも思考を動員した内容になっています。
②参照としてのきのこ帝国とFor Tracy Hyde
そして羊文学について語る前段として、同じく“轟音・女性ボーカルバンド”であり、シーンにおいて重要な存在感を示したきのこ帝国とFor Tracy Hydeについて掘り下げるのが第2項です。この2組は過去に何本か文章を書いており、その集大成のような文章になりました。これまで書いてきた記事を以下に示します。稚拙なものも多いですが、この集積の先に今回の文章があります。
きのこ帝国『フェイクワールドワンダーランド』のレビューです。共有ブログ「音楽だいすきクラブ」に寄稿したもの。今から10年前、初めてアルバムレビューを書いたのがこの作品でした。
現時点ラストアルバムのレビューと、結果的に最後にきのこ帝国を観る機会となったフェスのこと。このフェスには羊文学も出演しており、とても印象深いステージになりました。
きのこ帝国が活動休止を発表してから書いたもの。これまでのディスコグラフィーを辿りその作風の変遷を読み解きました。今回の評論はこの記事を大きく磨き上げる形を取っています。
For Tracy Hydeとの出会いは比較的遅く、3rdアルバム『New Young City』だったのですがこういう奇妙な文を書いていました。メンバーの夏botさんにも届いて、話題にしていただけました。
解散に際して書いたもの。今回の評論のFor Tracy Hydeのパートの叩き台になっています。ここであげた中では今回の評論のイメージを掴む上では最適な論調を持っている文章だと思います。
④羊文学の表現
そして第3項で羊文学について言及していきます。
思い返すとnoteを書き始めた頃に羊文学を題材にしました。非常に仕事が辛い時期で、当時リリースされたての『若者たち』には救われました。その時の印象が今回の評論の軸になりました。
羊文学の表現を考える上でメジャーデビュー期を直撃したコロナ禍は欠かせないと思い、評論ではその前後を重点的に書いています。当時のオンラインライブの感想にもヒントが沢山ありました。
初めてのワンマンライブ。この時も“幕”の演出があったので、今回のツアーでの幕の異様な使い方に大きく反応することになりました。
ということで、以上が今回の評論の概要解説になります。核心的な部分は実際に読んでいただきたいと思います。なかなかライブレポートが導入になる批評文も珍しいと思いますが、山ほどライブレポートを書いてきた私にこそ出来るアプローチでしょうし、バンド史をそのまま批評に繋げる点も音楽ライターらしさかと思います。
村上さんからは上のような紹介文をいただきました。
本文も少しだけ、、!
ポッドキャストでもあれこれほのめかしました。
それでは、どうぞよろしくお願いします!
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