マハーバーラタ/4-9.サイランドリーの訴え
4-9.サイランドリーの訴え
それから数日後、キーチャカが寝込んでいると王妃スデーシュナーに伝えられた。彼女はサイランドリー(ドラウパディー)を呼び出した。
「サイランドリー、兄のキーチャカが珍しいワインを手に入れたそうです。今から彼の宮殿へ行ってそのワインをもらってきてください」
ドラウパディーはその依頼に驚いた。
自分を守ってくれるはずの王妃が悪魔のようなキーチャカの企みに加担したのだ。その発言が信じられず、熱いため息が漏れた。
「王妃様、どうか私を使いに送らないでくださいませ。あなたのお兄様が私に対して邪な考えを持っています。きっと力ずくで私を奪おうとするでしょう。彼の所へ行ったら良くないことが起きてしまいます。どうかこれまで通りに私を守ってください。他の人を送っていただけませんか? 他のことなら喜んでしますから。どうかキーチャカ様の所にだけは行かせないでください」
「いいえ! あなたに行ってほしいの。私の兄をそんな風に言わないで。彼は女性を困らせるようなことなんてするはずがないわ。私の頼みを聞くのが嫌なの? 彼は私のメイドを大切に扱ってくれるわ。大丈夫だから今すぐ彼の所へ行ってワインをもらってきて。もう喉が渇いているの」
ドラウパディーはあきらめるしかなかった。
スデーシュナーから受け取った金の器を持ってキーチャカの所へ向かった。
キーチャカは首を長くして彼女が来るのを待っていた。
サイランドリーが向かってくるのを見るとすぐに迎えに行った。
「おお、サイランドリー。やっと来てくれましたね。あなたに会えるのをずっと待っていました。
我が愛する人よ。どうぞこちらへ。あなたの為にベッドを準備してあります。一緒に休みましょう。一緒にお酒を飲んでこの再会を楽しみましょう」
「キーチャカ様、私はその為に来たのではありません。王妃様から頼まれてワインを受け取りに来たのです。どうかこの器にワインを注いでくださいませ」
「ふふふ、そう急ぐなよ。愛しい人との再会をもっと楽しませてくれよ。すぐには帰らせない。そうだ、他の者にワインを運ばせよう。そうすればあなたはずっとここにいることができるじゃないか。私を楽しませてくれよ」
キーチャカはドラウパディーの傍に近寄り、手を取ろうとした。
ドラウパディーは恐ろしくなり、彼を押しのけて逃げ出した。
金の器も投げ出し、ヴィラータ王の所へ向かって走った。ヴィラータ王の傍にいるユディシュティラの助けを求めようとしていた。
しかしその途中でキーチャカが追いつき、ドラウパディーの髪を掴み、彼女の体を床に倒した。彼は怒りのあまり、彼女を蹴り始めた。
ドラウパディーは死に物狂いで立ち上がり、まるで雲のように髪を漂わせて走り、ヴィラータ王の元までたどり着いた。
ヴィラータ王は彼女が駆け込んでくるのを見た。
ユディシュティラもその場にいた。
しかし突然の出来事に誰も口を開かなかった。
偶然その場にヴァララ(ビーマ)が現れた。
ドラウパディーの哀れな姿を見て、ビーマの目は一瞬のうちに火のように燃え上がった。彼の息も火のように噴き出した。
彼女をそんな姿にしたキーチャカを殺そうと、近くにあった木を引き抜こうとしたその時、ユディシュティラが目配せで彼を止めた。
「ヴァララよ。オーブンに薪をくべたいなら、その木は良くない。まだ青々しているからよく燃えないだろう。
あなたの有り余るエネルギーをその木にぶつけてもよいが、それは無駄です。木が十分に乾いていて、しかも邪魔になっているなら折ってもいい。今はまだその時期ではない」
ビーマは彼の言いたいことを理解した。
軽率な行いで未来を台無しにしてはならない。待たなければならない。
ビーマは地面に視線を落とし、静かに立ち尽くした。
ドラウパディーは夫達のやりとりを見ていた。
ユディシュティラに対する怒りを押し殺しながら、ヴィラータ王の方へ顔を向けて話し始めた。
「ヴィラータ様、あなたの治める国でなぜこんなことが起きるのですか? 嫌がらせをする男から守っていただけないのですか? あなたはこの国の王です。人々を守るのが王の役割ではないですか?
私には五人の夫がいますが、理由があってこの男を罰することができないのです。口を出せない状況なのです。王よ、頼りになるのはあなたしかいません。こんな堕落した行為からどうか守ってくださいませ」
ヴィラータ王は黙っていた。力強いキーチャカは彼の軍の総司令官で、王であってもキーチャカを敵に回すことはできなかった。
「サイランドリーよ。私の目の前で起きていないことを判断することはできない。結末を見たにすぎないのだ。この過ちの原因が全てキーチャカにあるとは言いきれない。なぜ彼があなたを蹴ったのか、私には分からないのだ。きっと何か理由があってそうしたのであろう。何が彼をそうさせたのかは分からない。きっと彼には何か正当な理由があったのだろう。私にできることは何もない。ここから立ち去りなさい」
ヴィラータ王が事を荒立てないように振舞っているのを見たユディシュティラは腹を立てたが、必死に怒りを抑えた。額は汗で濡れていた。
あくまで他人のふりをしながらドラウパディーに話しかけた。
「サイランドリーよ。あなたは王妃の部屋に戻った方がいいと思います。
あなたの夫達はきっとこれまでの出来事に気付いているでしょう。きっと彼らは怒っているに違いありません。ですが、適切な時期ではないので助けに来てくれないのでしょう。今助けに来てくれなかったとしても、あなたが夫達に対して怒ることは適切ではありません。あなたのご主人達は、怒りを露わにすべき時ではないと考えているのです。どうか我慢するのです。あと15日間の辛抱です。彼らにかかっている呪いはあと2週間で終わるのですから、その時を待つのです」
ドラウパディーはその場から動かなかった。
ユディシュティラはさらに話した。
「ヴィラータ王は正義の人です。彼のことを不正義の人のように言ってはなりません。それは正しくない。あなたはまるで女優のように振る舞いが大袈裟です。男性達の前で泣きすぎです。もっと控えめになって王妃の所で過ごしなさい」
ドラウパディーは『女優』という言葉にカチンときた。
ユディシュティラへ燃えるような目を向けた。
「賢者カンカ(ユディシュティラ)よ。あなたの言うことは正しい。あなたは私のことを女優と言いました。あなたにはそんな風に言う権利があるでしょう。ですが、私にも少し言わせてください。
私の一人目の夫はサイコロ賭博の依存症で、彼のせいで他の夫達も臆病者の腰抜けにならなければならなかったのです」
ドラウパディーは顔にかかった髪をかき上げ、衣服を整えた。
宮廷全体、特にユディシュティラに向けて、まるで火のような目を向けてから、彼女はその場から大股歩きで出ていった。
パーンダヴァ兄弟は彼女の為であれば命を捨てる準備ができていたが、今は正体がばれることを防がなければならなかったので、勇敢さも怒りも隠して静かにしていた。