マハーバーラタ/7-14.ナーラーヤナアストラ
7-14.ナーラーヤナアストラ
ドローナが倒れたことを知ったドゥルヨーダナは絶望した。
ビーシュマに続いてドローナを失ったカウラヴァ軍に混乱が広がった。
アシュヴァッターマーが軍を連れてドゥルヨーダナの所へやってきた。
「ドゥルヨーダナ、どうしたんだ? 顔が青いようだが。
何かあったのか? ここにいる皆が静まり返っている。
父が見当たらないが、どこだ? まだ戦っているのか?」
ドゥルヨーダナは何も答えられなかった。
クリパに向かって目を向けた。
「・・・頼みます」
クリパはゆっくりと話しかけた。
「アシュヴァッターマー。今日起きたことを聞きなさい。
あなたの父ドローナは天界へ向かいました」
「父が? 叔父さん、なぜそんなことが起きたのですか?」
「ユディシュティラはドローナにアシュヴァッターマーが死んだと言った」
「そんな? 私は生きている!」
「そうだ、嘘だ。あなたは生きている。あのユディシュティラが嘘をついたのだ。最初にそう言ったのはビーマだったが、決して嘘を言わないユディシュティラに確認した。絶望したドローナは武器を置いて、この世界から離れる決意をしてヨーガの体勢に入った。無防備な彼の首をドゥリシュタデュムナが刎ねた」
アシュヴァッターマーは怒りで震えていた。
周りの者達はその怒りに触れることを恐れ、話しかける者はいなかった。
「許さん! ユディシュティラは大きな罪を犯した。我が父に不正を働いたあの男を私が罰する! ドゥリシュタデュムナは自分の犯した罪のせいで苦しみながら死ぬことになるだろう!
大地は罪人ユディシュティラとドゥリシュタデュムナの血を飲むであろう!
我がアストラの力を見せてやる。神から父に与えられたナーラーヤナアストラの力を見せてやろう。パーンダヴァ達は誰一人として立ち向かうことはできない。
ドゥルヨーダナ、見ていなさい。あなたがこの世界の統治者となる時がやってきた」
その言葉は落胆していたカウラヴァ軍に新たな命を吹き込んだ。
ほら貝やトランペットが吹き鳴らされ、アシュヴァッターマーを先頭にパーンダヴァ軍へ向かって進んだ。
ユディシュティラの耳にその音が届いた。
「おかしい。さっきまであんなに静かだった敵軍が力強く叫んでいる」
アルジュナが答えた。
「私には分かります。アシュヴァッターマーでしょう。父を殺された彼はまさに死神のように私達に襲い掛かってくるでしょう。シャンカラ神の恩恵によって生まれた彼はインドラやヴィシュヌを超える強さを秘めています。
ユディシュティラ兄さん、あなたは今日不正をしたのです。あなたの嘘によってドローナ先生は弓を置き、瞑想に入った。そしてドゥリシュタデュムナによる暴行を許したのです。私は止めようとしましたが。あなたの名前は汚され、あなた自身も地獄へ行くことになるでしょう」
パーンダヴァ軍の皆が静まり返った。
ビーマは赤く染まった目を弟に向けた。
「アルジュナ、お前は何様なんだ! 森の住人か?
クシャットリヤの意味を知っているか? 敵から人々を救う者という意味だろう? お前の剣は世界を勝ち取る為のものではないのか?
ユディシュティラが不正を働いただと? いつ兄がダルマから逸れたというのか? 答えろ!
兄は不正な方法で国を奪われた。ドラウパディーはドゥッシャーサナというけだものによって私達の目の前で侮辱された。
森で12年間過ごし、ヴィラータの廷臣として過ごした兄は臆病者だったのか? それとも苦難に耐えられるほど公正だったのか? どっちだ?
私達が戦争を叫んでいる時に5つの村でいいと言ったのは臆病だったと思うのか? あれほどまでに戦争を避けようとしていたのは公正だったからではないのか?
兄がついたあの嘘はクリシュナの案だ。最高の賢者の案よりもお前は優れているとでも言うのか? さっきのお前の言葉はただの見せかけの美徳だ。我々の王である兄に対して話すべき言葉ではない!」
ユディシュティラはビーマを抱きしめた。
「恐れ知らずのビーマ。我が弟よ。アルジュナの言葉で傷ついた私の心はあなたの愛の言葉で救われた」
ビーマが言葉を続けた。
「アルジュナ。アシュヴァッターマーと戦いたくないならここにいろ。彼を称える言葉を唱えていればいい。私が戦う。彼のアストラなど恐れてはいない」
ドゥリシュタデュムナが話した。
「私はたくさんの人々を救うためにドローナを殺した。なぜ私に非難の目を向けるのか? 私はドローナを殺す為に生まれた。世界の人々が知っている。ドローナ自身も知っていた。この15日間、この結果が果たされるように戦ってきたではないか。
ドローナはドゥルヨーダナを喜ばせる為にたくさんの人々を生贄にした。神聖なアストラを使ってどれほどの人間を殺したことか。まさに不正な方法を選んでいた。
あなたは息子が殺されたことでジャヤドラタを殺す誓いを立て、それを達成する為に太陽を隠したのは騙しではなかったのか?
私は今日ドローナによって父を殺された。兄弟も、息子も殺された。
あの邪悪な者を殺したことでなぜ非難されなければならないのだ?
あなたが殺した偉大なバガダッタはあなたの父インドラの友人だ。
あなたが千本の矢を突き刺したビーシュマはあなたの祖父だ。
武器を持たない彼に矢を放ったのを忘れたのか?」
サーテャキはアルジュナに対する侮辱に耐えきれずに口を挟んだ。
「ドゥリシュタデュムナ! 我が師アルジュナを侮辱するのはやめろ!
あなたがしたこととアルジュナがしたことは違う。
あなたは自分のグルが武器を持っていない時に首を刎ね、地面に投げ捨てた。あれは侮辱以外の何物でもない。あの卑劣な行いによってきっと地獄へ行くことになるだろう。
ビーシュマを倒された時、武器を持っていなかったと言っているが、それはあなたの兄弟シカンディーによるものだ。アルジュナが武器を捨てさせたのではない。
そしてあの時ビーシュマは自ら殺されることを望んでいた。アルジュナに罪は全くない」
ドゥリシュタデュムナはその反論を笑った。
「あなたの意見は分かった。しかし、ブーリシュラヴァスを殺した時のあなたの振る舞いを覚えているか? アルジュナによって腕を切られていた彼の首を切ったのは誰だ? アルジュナの助けを借りてブーリシュラヴァスを殺したあなたが公正さについて語る資格はあるのか?
あれはまさに不正だった。しかし、この戦争においてはそれほど大きな意味を持たないから私はあなたが咎めることはしなかった。
公正さとはまさに定義するのが難しいものだ。正義の戦争を勝利で終わらせる為に、あの罪深いドローナを倒す為に、必要なことはしなければならないのだ。
ユディシュティラは勝利の為に自らの名声を犠牲にした。あの嘘は褒められるべきだ。偉大な嘘だったのだ。
どうだ? サーテャキ。まだ意見はあるか?
アルジュナは妹の夫なので戦うことはしないが、あなたが戦いたいというなら受けて立とう」
サーテャキは鎚矛を持ちあげてドゥリシュタデュムナに突進した。
それを見たビーマがサーテャキを背後から捕まえた。
ビーマは5歩引きずられ、6歩目で動きが止まった。
サハデーヴァが間に入った。
「サーテャキ、ドゥリシュタデュムナ。やめてくれ。あなた達は二人共が愛しい人だ。あなた達は友達だ。お互いに相手の言葉を許すべきだ。
ドゥリシュタデュムナ。あなたは私達パーンダヴァ兄弟にとっては、あなたの妹ドラウパディーと同じくらい愛しい人だ。
サーテャキ。あなたは私達にとってクリシュナのような人だ。過ぎ去った川の水を飲んでいがみ合うのは正しくない。これからのことを考えましょう」
クリシュナが話した。
「サハデーヴァの言う通りだ。今考えなければならないのはドローナの息子のことだ。アシュヴァッターマーは謙虚な性格を捨て去り、こちらに突進してきている」
パーンダヴァ達は迫っている危険に対して構え始めた。
アシュヴァッターマーはナーラーヤーナアストラを呼び起こした。
「我が力の前に屈しろ!」
空には数百万の矢と円盤が満たされた。
パーンダヴァ軍は逃げ場所のない恐怖で圧倒された。
ユディシュティラは叫んだ。
「全員自分の身を守れ!!
ドゥリシュタデュムナ、命が大事なら逃げるんだ!
サーテャキ、軍を連れてドヴァーラカーへ帰るんだ!
アルジュナ、私がドローナ先生を殺したんだ。
愛しいアビマンニュを死に追いやったのは私だ。
私がこの戦争を始めたのだ。
クリシュナ、あなたは私のグルです。あなたの指示に従って嘘をついたことを誇りに思います。あの嘘によってたくさんの命が救われました。
あの嘘によって私が地獄へ行くなら喜んで受け入れます。
私はクシャットリヤとして死ぬ準備ができました。
クリシュナ、どうかご無事で」
ユディシュティラの言葉を聞いて口を開く者はいなかった。
兄の言葉を聞いてビーマは涙を流していた。
クリシュナが言った。
「ユディシュティラ、今は逃げることや死について話す時ではない。
私はこのアストラをよく知っている。立ち向かおうとする者に向かって攻撃してくるアストラだ。戦おうとすればするほど力強くなる。
逆に武器を捨て、戦う意思を持たない者に対しては頭上を通り過ぎるだけでしょう。
皆、私の言葉を聞きなさい! 武器を捨て、頭を下げて伏せなさい!」
全員がアストラの輝きを前に地面に伏せた。
一人を除いて。
ただ一人、ビーマは伏せようとしなかった。
「嫌だ! アシュヴァッターマーが放ったアストラの前で伏せるなんてできるか! このビーマは臆病者ではない! 戦うぞ!」
まさに堂々とした姿で一人だけ立っていた。
猛烈な嵐に怯むことなく立つシャラの木のようであった。
すると恐ろしいことが起きた。
空を覆っていた全ての矢がビーマに向かって降り注いだ。
アストラの矢とビーマが輝きに包まれた。
アルジュナは慌てて弓を手に取ってヴァルナアストラを放った。
しかし、偉大なアストラを中和するには不十分であった。
ビーマは誇らしげに叫んだ。
「うおおおおおーーーー!! 負けるか! 決して屈しないぞ!!」
まるで昼間の太陽のように輝いて立っていた。
クリシュナとアルジュナがビーマの体にしがみついた。
強引にビーマの武器を取り上げ、ビーマの体を地面に押さえつけた。
アストラは彼らの上を通り過ぎていった。
クリシュナが言った。
「ビーマ、あなたは何をしようとしていたか分かっているのですか?
カウラヴァ達を殺すと誓ったあなたが自ら死のうとしていたのです。なんと愚かな!」
クリシュナの知恵によってパーンダヴァ軍は壊滅を免れた。
ドゥルヨーダナはナーラーヤナアストラの威力を目撃した。
「アシュヴァッターマー! なんという威力だ! もう一度頼む!」
「いえ、それはできない。このアストラは一度しか放つことができない。もしもう一度放とうとすれば今度は私達に襲い掛かるはずだ。
しかし、もう必要ないんだよ、ドゥルヨーダナ。
パーンダヴァ全員が私の力の前にひれ伏した。彼らは敗北を認めたんだ。クシャットリヤにとって敗北は死を意味する。私はあの臆病者たちに勝ったのだ。それで十分だ」
「そんな精神論は要らないんだ! 本当の死を与えなければ意味がない! 他のアストラでもいい。彼らを攻撃してくれ」
「分かった。そうしよう」
アシュヴァッターマーはパーンダヴァ軍を攻撃し始めた。
彼の怒りの矛先はドゥリシュタデュムナであった。
パーンダヴァ軍は必死に彼を守って戦った。
そこへアルジュナが駆け付けた。
「アシュヴァッターマー、私が相手になろう。あなたの知恵、武勇、勇敢さを見せてみなさい」
ドローナの最愛の息子と最愛の弟子、この二人の弟子の戦いは見る者の目を喜ばせた。
しばらく戦ってもアルジュナをなかなか突破できずにいたアシュヴァッターマーはアグネーヤアストラを放った。
そのアストラの火はパーンダヴァ軍を焼いた。
アルジュナはその怒りの火を消す為にブラフマアストラを放った。
アグネーヤアストラは相殺され、戦場には冷たいそよ風が吹いた。
アシュヴァッターマーの怒りの火も静まり、悲しみを抱えて一人で戦場から離れていった。
そこへヴャーサが現れた。
「おお、ヴャーサ。教えてください。なぜ私のアストラは失敗したのですか?」
「あなたは愚か者だ。世界から災難を取り除くために現れたナラとナーラーヤナに対してあなたはアストラを放ったのだ。アルジュナとクリシュナがそうだ。彼らを打ち負かすことも殺すことも不可能だ。
あなたの父は天界へ到達した。何も悲しむことはない。さあ帰りなさい」
前日から戦い続けた両軍は日没とともに引き上げられた。
安心して眠ることができる夜を迎えて戦士達は喜んだ。
ドゥルヨーダナは深い悲しみに沈んだ。
ビーシュマを失い、今日はドローナを失った。
ラーデーヤとドゥッシャーサナは彼を慰めようとしたが無駄であった。
第7章(ドローナの章)終わり。
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