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わたしの自分史-今のわたしができるまで-③
こどもの頃、毎年お盆と正月の時期は、決まって親族の集まりがあった。
そこではいとこ達と過ごすことが多かった。
幼稚園に通っていた頃だったか その前だったか、年上のお姉ちゃんの後ろをついて、何をするのも真似っこしていた。
「なんでお姉ちゃんと同じことしてんの?」
ある時、いとこの男の子に突然言われて、ショックを受けてしまった。
ダメなんだ。同じことしてはいけないんだ。。という思いに縛られてしまった。一気にどう振る舞えばいいのかわからなくなり、10代後半まで、いとこ達の前でまったく自分を出せなくなって閉ざしてしまった体験がある。
そんなこともあってか、"ひとと同じはイヤ"という価値観が大きくなったような気がする。
バイト先を選ぶ時も、それが元にあった。
初めてのバイトは時計屋さん。
販売のほかに電池交換やベルト交換もしていた。
集配バイトも、人と違うことができるのと時給の良さに惹かれて応募した。
そこにいた人達は、みんな愉快でやさしかった。
仕事に慣れない頃は、みんなに助けてもらっていて、本当にありがたかった。
バイトを始めた頃、タイムカードを見て、あれ?と気づいたことがあった。
名前は女性なんだけど、でも外見は、どう見ても男性にしか見えない人が2人…。
どういう事なんだろうと気にはなったけど、すぐに、まぁいっかと思えた。
どんな人かはわかる時がくるだろうし、そんなことより、その人達はとても良い人で好きだったからどうでもよくなった。
しばらくして、彼らがトランスジェンダーであることがわかった。
さらにしばらくすると、その職場には、トランスジェンダーの人がもうあと何人かいることがわかったけど、たいして驚きもしない自分がいた。
世の中には色んな人がいて、色んな生き方があることを知ったし、それでいいと自然に思えた。そう思う自分の枠の無さにも気づいた。
性別でわけられることが当たり前の世界の中で、トイレや性別記入欄やプールや温泉…色んな場面で不自由さを感じていただろうけれど、自分を生きている人達の姿を目の当たりにした。
きっと…わたしには想像もできない想いがそれぞれにあっただろうけど、みんな明るさとやさしさがあった。
みんな同じ人間なんだから、それでいいのな。と何度も思っていたことを思い出す。
大学卒業後、わたしは、その中のひとりとお付き合いをすることになる。
④へ続く