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「食息動想環」から、美の哲学と幸せが繁栄していく循環

「食息動想環」
食事は美味しいと感じ、それを楽しみながら大切にしていく。
それが自分自身の体はもちろんだが、在り方そのものを作り上げていく。

環境も同じだなぁーと、今日お料理と掃除をしながら気づいた。

お家の暮らしは、普段の自分自身の環境である。その環境は自分自身の心が喜びを感じるモノたちに囲まれて生活をしていくことで、心と審美眼が養われていくと、自分自身の美の哲学が出来てくる。

もし日本人全員が、お家の暮らしを通して、すべてに美の哲学ある生き方をしたら、どうなるだろう?と考えてみた。

家を買うという意識そのものが変わるだろう。とりあえずの建て売りはなくなるかもしれない。
普段の暮らしがお家のセンスに活かされているから、そのセンスと哲学を体験したくなり、親や祖父母が亡くなったときに、そのお家を子供たちが受け継ぐのだろう。

ドキュメント映画「人生フルーツ」の子供たちは、それを親に伝えているそうです。それを聴いたとき、わたしは感動しました。
親の美と喜びの哲学がつまったお家。とてもオシャレであり、手間ひまをかける喜びが溢れた生活がお家にあるからなんだろうとわたしは思った。

空き家問題というのは、お家の暮らしに美がなく、暮らせればいいというのが常になってしまったために、暮らしを通したお家そのものに哲学と美がないから、空き家はどんどん増えていくんだろうなぁーって、ちょっと思ったり。

その人の暮らしの美がつまったお家は、中古でも誰かがすぐに買うだろう。その美を受け継ぎたい!というワクワクする情熱をもとに。

そうなったら、日本の経済はどのようになるのだろうか?
日本独自の美を活かした価値観が主となり、それを楽しむ人達が増えていき、本物の価値が幸せと経済が連動していく現実になるのは確かだ。

そんなことを、今日ふと想像し、それを実現したいから、わたしなりの喜びと美を創造して、今日も暮らしを夫婦で楽しんでおります。

写真は、お昼ごはんを作っていてすごく幸せを感じました。
この時間のキッチンの光の加減も大好きで、写真を撮りました。

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