老後までに磨くべきスキルは「大喜利」だった。
今日はイベントの準備に朝から出社していました。
午後になり、いくつか文房具が不足していたので、私は1人買い出しにスーパーへ向かいます。颯爽と自転車を漕ぎながら、BGMには奥田民生の「イージューライダー」をかけて、何とも爽やかな土曜の昼下がりです。
駐輪場に自転車を停め、入口へ続くスロープを歩いていると、目の前に杖をついたご老人が歩いていらっしゃいました。ノロノロと。
正直に言って、わたしはイライラしました。
もちろん、スロープというもの自体が段差を苦手とする高齢者の方々のために作られていることは知っていますし、歩幅が小さくなり、足の回転も遅くなる事はやむを得ないと理解しています。
しかし、イベント前のこの時期だったからなのか、それが言い訳になるとも思いませんが、心の中で「早くしろジジイ!」と唱えてしまったことは事実です。(声に出しては言ってません)
ジジイ、いえ、ご老人がゆったりと歩いている横に僅かな隙間を見つけ、イライラ棒をプレイするような感覚で追い抜くと、私はこれみよがしに素早く歩いて行きました。
ふとその瞬間に、小さな不安が湧きました。
「自分もいずれこうなるのか」
自分だってスタスタ歩けているのは今のうちで、もし80を超えた齢になれば、このスーパーに来るだけでも30分以上かかったかもしれません。
それどころか、何を買うか迷う時間も増え、決済する時間も、帰る時間も、家で靴を脱ぐ時間だって何倍にも膨れ上がるはず。
そうなると、年を追う毎に自分が使える時間は減っていき、今の感覚で将来を見据えていると確実に時間が足りなくなるはずです。
漠然とした気づきですが、どうしようもない焦りが込み上げてきます。
このままでいいのか?
いつか戦い方を変える必要に迫られるのではないか?
特に「笑い」に関する部分は死活問題です。
私は芸人でも何でもありませんが、「面白くて 変なことを 考えている」がモットーな会社で働き、将来は「みうらじゅんになりたい」と志している。そんな自分にとって「つまらなくなる」のは死活問題です。
今の私は主に「瞬発力」で笑いを取っています。
誰かのボケやミスにいち早く気づき、テンポよく的確な指摘をする。
要するにツッコミですね。
先日も先輩のトミモトさんから「シャニカマは分かりやすい一芸が無いけど、ツッコミは良い」という鋭いご指摘をいただきました。
でもこれじゃ老後が不安でしょう?
だって瞬発力が著しく低下するんですから。
だとするなら、80越えても面白くあれるために、必要なものはなにか?
誰かの発言や行動への反応ではダメ。
あくまでも主体的に発表するもの。
かつ、極力ライブ感を必要としない形式。
企画書です。
これなら主体的でライブ感を必要としない。
企画書で笑いが取れれば、生きているうちは面白くあれるはず。
では、企画書を面白くするスキルとは何か?
それは「大喜利」ではないでしょうか。
解決した「問い(お題)」に対して、滑稽に見える切り口とワーディングを思案していく作業。まさに大喜利の核となる部分です。わたしはこのスキルを伸ばしていくべきなのです。
ジジイになっても、一人で書斎に篭り、せっせと企画書を作っていて、時にバアさんや老人ホームの面々に披露しては悔しい思いをし、最期は入院先でも担当医へ企画提案をし、死後になって遺族へ向けた『俺の葬式案』という遺企画書が見つかる。
そんな老後は素敵じゃありませんか。
そういうものに、私はなりたい。
奇しくも、自分の近くにそんな人がいました。
弊社の“アイデアマン”こと山根シボル氏です。
山根さんはどの案件でも企画を担い、数々のアイデアを世に送り出してきました。まさに大喜利で飯を食っている人です。
更にちょうど明日(11/17)「dotFes」というイベントに登壇し、そこで佐藤ねじさんなど錚々たるメンツと「クリエイティブ大喜利」を披露し合うそうです。
いいなあ。
大喜利に生きてるなあ。
企画しながら死にたいなあ。
そういう“昇天”がしたいんですね。
お後がよろしいようで。