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知識もセンスから。
「センスは知識から」
そういう本があります。
前職の意識高いキラキラベンチャーでは、まるで聖書かのように崇め奉られ、誰もがその言葉を信じていました。
まるで信者が「これを信じれば報われる」「最後に笑うのはこの神様を信じた者だけだ」と唱えるかのように、「センスは知識からだ、さあ知識をつけよう!」と。
その言葉には大きな勇気を与えられます。才能ある人たちだけが上位層を牛耳っていて、才能なき人はそこに上がる機会すら与えられない。
そんな非情な仮説を綺麗に打ち砕いてくれるのですから。
たしかに、納得する部分も多分にあります。
面白い人は昔からお笑いに触れている事が多いし、お洒落な人は雑誌を購読するのも早かったりします。知識がセンスになっている、そんな例が誰の周りにもあるのではないでしょうか。
センスとは言語化しにくい分野において適した回答を素早く導く能力のことだと思います。論理で考える前に、自ずと答えが目と鼻の先に現れてくるような人。
野球でも守備センスがいい人は、打者が打つ前に捕球位置に移動できるそうですね。そんなイメージ。
それは膨大な過去の知識や経験が折り重なってパターン化され、集合知となり、何か選択をする際に自ずと不適切な選択肢が排除されているのでしょう。
ただ、こうもとれませんか。
「知識はセンスから」と。
何かの知識を得る際、人は既に選択をしているのです。
「この授業は聞くべきかどうか」
「この本を読むべきかどうか」
「こいつは友達にすべきかどうか」
同じ状況に立ったとて、選択はそれぞれ変わってくるはず。
選択する基準は、他ならぬ「センス」です。
ということは、知識が先か?センスが先か?ということは、鶏と卵の関係にあるということです。
「この作品たちに触れているから、この人はセンスがいいんだ」ではなく、「この人はセンスがいいから、この作品にたどり着いたんだ」ということです。
そう考えてみると、とても残酷な現実が見えてきました。
ウチの会社の代表をはじめ、先日取材したライターさんも、私がセンスいいと感じる人には共通点があります。
「自分が知らないコンテンツに触れている」ことです。
「デイリーポータルZ」や「ジョジョの奇妙な冒険」「ガンダム」など、尊敬する面白い人が影響を受けた作品は綺麗に私が気にも止めず素通りしてきたものばかり。
それらを「知識」として選ぶ「センス」がゴッソリ抜け落ちているのです。
おそらく、今のセンスを瓦解させて、新たなセンスを構築させるためには「嫌いなもの」にあえて触れたり、「好きなもの」をあえて遠ざけたりする必要があるのでしょう。
でも、そんなことしません。
だって、斜に構えてるんだもん。
「センスは知識から」でも「知識はセンスから」でもない、第三の選択肢を模索することにします。
「センスはひじきから」なんてどうでしょう?
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