ONARA RECORD #17「情熱の薔薇/THE BLUE HEARTS」
今回ご紹介するオナラレコードは「情熱の薔薇/THE BLUE HEARTS」です。
THE BLUE HEARTS(以下:ブルーハーツ)は1985年に結成され、1987年に「リンダリンダリンダ」で衝撃のデビューを飾りました。彼らはメッセージ性の高いパンクロックを数々残し、現在でも数多くの曲がCMなどに起用されています。
そんなブルーハーツが初めてオリコン1位を獲得した曲が「情熱の薔薇」です。
▼PV
▼歌詞
さて、まずはこの曲を簡単に3行でまとめてみたいと思います。
本当のことなんてよく分からない。
きっと、答えはきっと心の奥にある。
だからしのごの言わずに、情熱の薔薇を咲かせよう。
なんともパンクな、これぞブルーハーツと言った歌詞ですね。
世の中には悩める要素が多すぎて、誰もが難しく考えてしまう。
その方が良さそうだから。本当っぽいから。
でも、本当に大切なことってそんなことじゃない。
ハッとさせられる歌詞ではないでしょうか。
ただ、これも「オナラレコード」なのです。
では、一体どんな屁理屈を歌っているのでしょうか。
それは、元考古学者の藤村新一の屁理屈を歌ったオナラレコードです。
誰?そう思われた方が大多数ではないでしょうか。
藤村新一は「旧石器捏造事件」を引き起こした人物です。
彼は考古学者として数々の歴史的な大発見をしていましたが、あまりに多いので朝日新聞社によって調査されたのです。
すると、採掘現場にこそこそとやってきて現場に穴を掘り、化石を置き、土をかけて埋める一部始終がカメラに収まってしまったのです。
その写真がスクープされてから、なんと日本史から「前期・中期旧石器時代」が完全に消滅したのです。
どうですか、とんでもない男でしょう。
▼詳細を知りたい方はコチラ
果たして、ブルーハーツの名曲がそんな男のオナラレコードなのでしょうか?
実際に見ていきましょう。
Let’s ONARA RECORD!!!
永遠なのか 本当か時の流れは続くのか
いつまで経っても変わらないそんな物あるだろうか
見てきた物や聞いた事いままで覚えた全部
でたらめだったら面白い
そんな気持ちわかるでしょう
ここは「真実」に対する持論を展開する場面でしょう。
永遠?本当にそうか?
昨日の真実が、また新たな定説で覆される。それが歴史ってもんだろ。
いつまでたっても変わらない。
そんなものあるだろうか、いや無い。
でも、今まで聞いてたこと全部がデタラメってのも面白いじゃないか。
そんな気持ち分かるだろう?
答えはきっと奥の方 心のずっと奥の方
涙はそこからやってくる 心のずっと奥の方
ここは「真実」を哲学する場面です。
「真実」は化石に似ている。
少し掘っただけでは分からない。その奥にあるんだ。
大抵のやつは化石が出ないと、すぐに諦めてしまう。
その1cm先にあるかもしれないのに。
人の心もそうさ。
涙は単に「悲しい」なんて感情から出てくるわけじゃない。
それまでの文脈、自分の境遇が複雑にリンクして涙する。
だが、人は単純明快な答えにすがりつく。
だから、あんな簡単に化石が出ると、疑いもなく飛びついてくるんだ。
本当のことは、もっと奥にあると言うのに。
なるべく小さな幸せと なるべく小さな不幸せ
なるべくいっぱい集めよう
そんな気持ちわかるでしょう
ここは自分の犯した罪を反省する場面です。
ただ、本当のことを見ようとしなかったのは俺の方だ。
目の前の成功、富、名声に目が眩んだ。
本当の幸せはそんなことじゃない。
なるべく小さな幸せと、なるべく小さな不幸せを、なるべくいっぱい集める。
そんな生き方はしっくりきていたんだ。
(中略)
情熱の真っ赤な薔薇を胸に咲かせよう
花瓶に水をあげましょう 心のずっと奥の方
ここは最後に「本当に大切なことは何か」について1つの答えを出す場面です。
俺は目の前のことに気を取られて、人生を棒に振った。
だが、「真実」については未だに答えがないままだ。
捏造をしていない学者が言っていることだって、真実じゃないかもしれない。
多くの学者が次々に発表される新説で、自らの論理を破綻させていく。
本当に大切なことは何か。
それは「情熱」ではなかろうか。
胸に情熱の真っ赤な薔薇を咲かせること。
心の奥底にある花瓶に、水をやること。
そうして情熱を絶やさないことなのではなかろうか。
俺はあの頃が一番情熱的だった。
夜な夜な採掘現場に赴いては、あ、とみんなが驚く仕掛けを施しておく。
俺は間違ったことをしていなかったのかもしれない。
エンターテイメントショーとして、俺は考古学をしていたのだ。
いかがでしょうか。
歴史的事件となった「旧石器遺跡捏造事件」の裏には、エンターテイナーとしての藤村新一の姿があったと。
もちろん嘘は肯定されるべきことではありません。
しかし、真実もまた同様に肯定されるものではないのかもしれません。
あなたの真実は、どこかの嘘なのですから。