屁家物語タイトル__2_

【短編】ひとつ趣味として。

気づいた時には「男」だったと思う。
物心がついた時も、精通した時も覚えていないが、いつからか「男」になっていて、それは誰かに言われるでなく、はっきりと自覚することだった。

今の会社に新卒で入社して2年目になり、仕事も難なくこなせている。ただ、立派になるとか、成りあがる、というYAZAWAな生き様には興味がないので、今の生活を壊さぬよう、丁寧に、慎重に足場を固めていきたい。

そして家には「彼女」の美幸が居る。ショートヘアーがよく似合っていて、華奢な身体にはふさわしくない胸がいっそう堂々とさせている。美人だ。

美幸とは会社で知り合った。新卒の正社員として入った僕とは違い、彼女は僕の入社前からいる派遣社員だった。
同期内で付き合う連中はいたが、僕にはどうも幼い大学の延長みたいな気がしていた。そんな中、社内でも一際目立っていた(本人が意図しない形で)美幸と話すようになり、僕の「彼女」にすることができた。

最初に業務を超えた話題を持ち出したのは僕だ。彼女のデスクに置かれていた小さな映画のキャラクターがプリントされたキーホルダーを見逃さなかった。
そこからなるべくなだらかに距離を縮め、誰から見ても自然な流れでランチ、デートへと順調に進展させた。付き合うまで2週間もかからなかったと思う。僕はこの「手口」が得意だった。

今は彼女も会社を辞めて主婦業とささやかながらパートで生活費を稼いでくれている。
特に出費すべきものがない僕らは、それだけで満たされていた。

「今日は何か食べたいものある?」
家を出る前に美幸からかけられた言葉だ。「ザ・幸せ」みたいでくすぐったくなる。魚がいいな、と言うと、わかった、と優しい声が朝に心地いい。

家からは徒歩5分で駅に着き、東横線で20分電車に乗って会社のある渋谷に到着する。

今日も最寄駅の改札に入り、人の少ない最後車両へ歩いていく。電車がホームに入ってくると前の車両から順番に車内を眺める。徐々に電車がスピードを緩めると、人の顔に焦点が合っていく。

<なし、なし、あり、なし、なし、あり、あり、なし…>
僕は女性の顔を「仕分け」しないと気が済まなかった。

これがあまり人に言えない趣味だということと、普通の人よりも執着が強いことは分かっている。一度大学生の頃に話してヒンシュクを買ったからだ。だから自分の中だけで完結させている。やめられはしない。

特に東京は人が多い割にヒット率も高いので、ひと時も目が離せない。前から歩いてくる女性はもちろんのこと、後ろ姿に可能性を感じると足早に追いついて横顔を覗き込み、それでも満足しないときは前へ回り込んでなるべく自然に振り返る。
多くの場合は期待外れで落胆するのだが、稀に期待通り、予想以上の美人に遭遇するからやめられない。もちろん、美人であっても一切声はかけないが。

僕は「男」として女性の顔が好きだった。「雄」としてと言った方が適切かもしれない。
そのぐらい野性的で、動物的で、理性なんてシロモノじゃ抑えられない。

今日も証明写真の小部屋から綺麗な脚が伸びているのを出てくるまで待っていたし、欲しくもないティッシュは歩幅を上手く合わせて受け取りに行った。
どちらも期待外れだった。

ホームへ車両が入る途中、1両前に明らかに美しい空気をまとった女性がいた。数秒の出来事ではあったが、肩まで綺麗に伸びた髪は夜よりも黒く、吸い込まれるほど大きな瞳が小さな顔の在るべき場所に収まっていて、鼻は彼女と地球の中心を綺麗に捉えた角度と寸分違わぬ正確さで伸びている。
芸能人で言えば栗山千明、中条あやみ、と言ったところだろうか。モロ好みだった。

僕はすぐさま並んでいた順番を投げ捨てて、目星の列に並び直す。顔がまじまじ見られるように敢えて1つ隣のドアだ。彼女が着ていた紺のコートと黒のタートルネックを捉えると、僕は彼女の横顔が見える位置を狙う。
彼女は座席の前でつり革を持って立っているので、彼女が向いている側のドアに位置をつけて顔を覗き込む。

見えない。
横のジジイがダラっと前にかがんでいるせいで彼女の顔が見えない。

彼女のスマートフォンだけがジジイの腕の間から見えている。どこで降りるか分からないので、そのスマートフォンだけを凝視した。
頼りなくゆらゆら揺れる彼女の細い腕は西日に照らされて白銀に輝いている。早く顔が拝みたい。

電車が走り出すと、僕はマッチングアプリを開いた。このアプリは(無論登録している人だけだが)GPSで近くにいる人を表示させてくれる。
期待はしていなかったが、彼女はいなかった。まあ、こういうアプリに登録している女性だったら少し萎えるかもしれないが。

『自由が丘、自由が丘』

ジジイがついに姿勢を正して降りていくので、いよいよ僕は彼女の顔に視線を移した。

腕、鎖骨、首、顎にかけて目線を上げる。
まるで爆弾処理班が解体作業を1つひとつ焦らず手順通り行うように。
茶人が点てたお茶を来客の元に手渡すように。

彼女は振り返って、電車を降りていった。
気がつくと僕は下車し、彼女の後をつけている。自分の行動力に少し驚き、感心した。

こんなこともあろうかと30分も早く出社していて、メールの下書きには遅刻の理由が書かれたものがいくつも保存されているのだった。
ここまでやっている自分が少し誇らしくて、怖くなる。

彼女は改札を抜けると足早に人通りの多い路地を縫っていく。
追いかけても、ナウシカのラストシーンみたいに人のカタマリがどっと押し寄せてくる。あっちへ行ったり、こっちへ行ったり。

汗をかきたくなかったが、いよいよ遅刻が現実的になってきたので僕は走った。彼女は前方3メートル。
彼女の横を通り過ぎる時、ほのかに爽やかな匂いがした。

そのまま15メートルほど走って、あ、と言わんばかりに立ち止まる。
そして忘れ物をしたんだ、と言わんばかりに後ろを振り返る。自然に。

待ちに待ったご対面。
彼女の顔を正面から捉えた。

言うほど美人ではなかった。


男だなあ、と口に出してみる。
その方が軽くなって、落ち込まずに済むからだ。



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