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「サマになる」って何様のつもり?

格好が付かないこと、多過ぎませんか?

私は運動が苦手で嫌いなのですが、一度ボルダリングには興味を抱いてボルダリングジムの会員になったことがあります。壁にへばり付く私の背中に友人が放った言葉は「虫みたい」でした。

高校時代、どうしても彼女が欲しく、初めてヘアワックスをつけて登校した時、友人が私の頭を一瞥して放った言葉は「跳ねてるで」でした。「ああ」とか言って直したのを覚えています。

身長が高くなってきた中学生の頃、少し勇気を出して細身のデニムを購入。意を決して下ろしたてのそいつを学区の夏祭りに履いていったところ、ついたあだ名は「デクノボウ」でした。宮沢賢治のバカヤロウ。

大事な現場の大事な衣装だけソックリ母親に捨てられるし。
2種類を20部ずつ印刷しなあかんのに1種類40部印刷しているし。
仕事でもミスが減らない。

なんでもっとこう、スマートにならないのでしょうか。
オーシャンズ11のブラピみたいに、紙袋からハンバーガー取り出して頬張りながら闊歩したりできないものでしょうか。

どうも「サマにならない」のです。

顔のせいでしょうか?
いや、雰囲気イケメンみたいな人だっています。

「サマになる」って何でしょうか。

ぴったりとフィットしているというか、しっくりくるというか、とにかく無様な箇所がなくて、見ていてスムーズなんです。シコリなく滑らかにコトを運んでいくというか。

とにかく、サマになっている。

1つの仮説があります。
「サマになる」とは何か、について。

それは「過去の実績」です。

例えばブラピ。彼は数々の2枚目役をこなし、映画界のカリスマ俳優としてヒット作を生み出し続けました。だから「ブラピがやることはカッコいい」となっているのです。

「ブラピがやることってカッコいい」
じゃない。

「ブラピがやることはカッコよくなる」
です。俺が正解だ、みたいな雰囲気イケメンもそうです。
彼らはイケメンとして一世を風靡した本物のイケメンたちに形格好を寄せていくことで、彼らの築いてきた「過去の実績」を勝手に借りているんです。

昔は鬼のような肩パッドが「カッコいい」だった時代もあるんです。それは誰かがそれで実績を作り、そこに誰も彼もがあやかったからです。
でも、その時代が過ぎ去ったせいで「ダサいもの」に成り果てた、と。

「サマになる」とは、過去に実績を作った人になること。
いわば「二代目将軍」です。
殿様なんです。

いや、先代の実績だけに物を言わせて中身のないバカ殿様なんです。
「サマになる」とは過去の成功事例にあぐらをかく行為です。

そう思えば「カッコいい」ことが「カッコ悪く」思えてきます。
世の中のイケメンはみんな菅田将暉か福士蒼汰のパクリです。

菅田将暉は木村拓哉のパクリで、木村拓哉は佐藤浩市のパクリで、佐藤浩市は松田優作のパクリで、松田優作は高倉健のパクリで、高倉健はマーロンブランドのパクリです。

カッコいい人は、みんなバカ殿様なんです。
以上!

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岡シャニカマ
サポートされたお金は恵まれない無職の肥やしとなり、胃に吸収され、腸に吸収され、贅肉となり、いつか天命を受けたかのようにダイエットされて無くなります。