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「アイデンティティがない」なんて人に言うもんじゃない。

これから書くことは全て、ある1つの目的のために綴られます。
それはとても個人的なことであり、あくまでも私自身が健やかな日々を送るためにする“腹いせ”であり、単なる“ストレス発散”であり、自慰行為にも似た妄言であります。

私は先日「シャニカマはダサい」と非難されました。
同じ会社で働く同い年の女性と、後輩でまだ大学生のイケメンくんにです。

「いつも同じ服装やん」
「髪型もちゃんとしたほうがいいですよ」

それだけなら理解ができます。
自分は服装にも髪型にも疎いと自覚しております、高校生の頃から。

問題はその後です。

「服装はアイデンティティなんだよ」
「自己表現できてないんじゃないですか?」

アイデンティティ。
自己表現。

なるほど、この「アイデンティティの有無」について「服装がダサい」「ちゃんとしてない」と言う点から指摘をされるのであれば、この場を借りて大々的な反論をさせていただこうではありませんか。

もちろんその場でも2、3言で主張は述べさせていただきましたが、また例の如く「ほんと斜に構えてるなあ」という思考停止な返答で済まされていたので、正式に書面で回答しておいた方がお互いのためでしょう。ね?


そもそも「アイデンティティ」とは何でしょうか?

【アイデンティティ】
アイデンティティとは、同一性、すなわち「《他ならぬ》それそのものであって他のものではない」という状態や性質のこと、あるいは、そのような同一性の確立の拠り所となる要素のことである。
引用:Webio

上記の定義からもお分かりいただける通り、アイデンティティとは「これがあるから俺は俺なんだ」とかいう、「らしさ」とも呼べるような概念です。

では、私の服装がダサいというのは「アイデンティティではない」ということが出来るのでしょうか?
彼らは「いつもダサい」というニュアンスで批判をしてきましたが、すなわちそれは私と言う人間の『ダサい服装』という部分を記号化して「ダサい服装」=「シャニカマ」と認識しているのです。

つまり「ダサい」という事象が彼らの中で「シャニカマらしさ」を為している要素の1つになり得ているということ。
それって「アイデンティティ」じゃないですか?


逆に、私が誰か他のオシャレに精通している誰かにトータルコーディネートをしてもらった場合、そのアイデンティティは失われてしまいます。もしかすると、オシャレになり過ぎると、目の前にいて、手を振って相手の名前を大声で叫んでいるのに気づいてもらえないかもしれません。「え、シャニカマ?小栗旬かと思った」みたいに。

それもそのはずですよね。服装を選ぶ基準が「本人の趣味趣向」ではなく、「世間で求められているトレンド」になるのですから。「ダサい」がデフォルトの人がオシャレになれば、自分らしさとかけ離れるに違いありません。

ということはですよ、私を避難している彼ら自身が『我々はオシャレだ』という立場に立って物申すと言うことは、彼らが『私たちは世間にフィットした服装を選んでいます』と言っているのと同義。トレンドに合わせた服装を、トレンドによって左右されながら“選ばされている”ということです。

それって「アイデンティティ」なんですか?


と、ここまでは「ファッションがアイデンティティである」という彼らの見えない前提に立脚したままに論を展開しましたが、まずそこから疑った方がいい。

例えば友人のことを、別の友人に紹介するとなった場合どうやって紹介しますか?

「猫が好き過ぎて猫アレルギーなのにマスクして猫カフェ通ってる人」
「外資系の証券会社で働く超エリートなのに、がっつり嫁さんの尻に敷かれて毎朝家族の弁当作ってる人」
「非正規雇用のくせに斜に構えて理屈っぽいことばかり言ってる人」

そんな風に紹介することがあるでしょう。
あれ、ファッションの話がなくても紹介できましたね。

つまり、ファッションは一要素でしかなく、アイデンティティという大きな概念を構成する絶対的なものではないのです。人にはそれぞれ目に見える個性も、見えない個性もある。
であるとするならば、ファッションに特徴がない人を一概に「アイデンティティがない」と批判することは視野が狭いと言わざるを得ません。

ここまで書けば、私の主張がお分かりいただけたかと思います。
本人たちが「そんなつもりで言ったんじゃ」と言うかもしれませんが、言葉の定義から素直に受け取ったままに回答しています。

とてもスッキリいたしました。
こういう主張をつらつらとネットに晒すのもアイデンティティですね。

今後、私を紹介するときには「非正規雇用のくせに斜に構えて理屈っぽいことばかり言ってるメンヘラ男子」と言ってください。

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岡シャニカマ
サポートされたお金は恵まれない無職の肥やしとなり、胃に吸収され、腸に吸収され、贅肉となり、いつか天命を受けたかのようにダイエットされて無くなります。