【オナワザ】#10 故郷におしっこかける
「過疎化」という問題は依然日本の大きなテーマとして掲げられています。
そのために「地方創生」として様々な方が活動をしているとか。
最近では福岡市の市長が本を出して話題にもなりましたね。
偉い人たちは「情報化だ」「コミュニティだ」と、とてもスマートな角度からこの難題に対する答えを出そうとしています。
そのためにITベンチャーが誘致されたり、ふるさと納税と言って豪華な粗品を用意したり、かなり活動としては盛んになってきていますね。
でも本当にそんなことなのでしょうか?
私は全く違うアプローチが必要だと思います。
「過疎化」と聞くと難しそうに思いますが、問題はいたってシンプルです。
要は、若者が地方に残らず都会に出て行ってしまう、それだけ。
なぜそんなこと起きているのか?
それは「立ちション」という文化に答えがあるのではないでしょうか。
私が小学生の頃、立ちションはとてもポピュラーで市民権を得た行為でした。
それこそポケモンGOのポケストップよろしく、各地に立ちションできるスポットが点在していたのです。
そこでは小学生を筆頭に、少し疲れた大人たちが立ちションをたしなんでいました。
今でいう「オンラインサロン」の走りかもしれません。
しかし今ではそんな姿もめっきり見ません。
街は舗装されて綺麗になり、見通しが良い場所が増えては立ちションスポットは次々と姿を消して行ったのです。
そして今や「立ちション=犯罪」というレッテルが貼られ、ついには絶滅危惧種になっています。
捕鯨の問題と同じかもしれません。
では「立ちション」と「過疎化」にどういった関係があるのでしょうか。
それは「立ちション」という行為を本質から捉え直すことで浮かび上がってきます。
立ちションとは、とても動物的な行為、すなわち「マーキング」なのです。
マーキングとは、動物が自らのナワバリを示すために糞尿や爪痕を使ってしるしを残す行為です。
つまり「ここは俺のナワバリだ、誰にも渡さねえ」という、支配欲を表したとても攻撃的な姿勢の表れなのです。
これは人間に置いても同じことです。
「ここは俺の街なんだ」
「俺がここに生きた証をここに刻み込みたい」
そんな心の表れが立ちションなのです。
また、自らのおしっこをかけるとは「汚す」という行為です。
人間は自らの手で汚したものに愛着を持つ修正がありますよね。
昔から大切に持っている薄汚れたぬいぐるみ。
何十年も住み続けたぼろっちい我が家。
これがただ単に中古品だったら価値はうんと低いでしょう。
ですが「自分が汚した」だけで「愛着」という人間特有の独特な価値観が生まれるのです。
だからこそ、今まさに地方創生に求められているのは「立ちション」です。
若者に残って欲しいなら、地元に愛着を持たせたいのなら、立ちションを奨励すべきです。
まずは茂みや裏路地を作ること、そして市長自らが立ちションすることが求められているのではないでしょうか。
と言うわけで本日のことわざはこちらです。
故郷におしっこかける
【意味】
汚いことや醜いことであっても故郷に何か証を残すことで、はじめてその土地に愛着が湧いてくるということ。
【例文】
へえ、慶應義塾幼稚舎から慶応大学まで行ったんだ。特に悪さもせず。故郷におしっこかけてないから、地元に愛着ないんでしょう。
サポートされたお金は恵まれない無職の肥やしとなり、胃に吸収され、腸に吸収され、贅肉となり、いつか天命を受けたかのようにダイエットされて無くなります。