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寄生獣のミギーになりたい

私は献血が好きです。

中学生の頃、異常に献血に憧れがありまして。
献血可能年齢は16歳からなのですが、年齢を詐称して15歳で初献血した過去があります。
(翌年行ったら履歴でバレました)
(絶対に真似しないでください)

当時友人からは「何が楽しいの?」とよく聞かれましたが、私にとっては
・お金がかからない
・しかも誰にも迷惑かけない
・なんなら人の役に立つ
・お菓子とジュースもくれる
という4拍子揃ったすばらしいアクティビティ(?)なのです。

でも実は、そういう分かりやすい理由で献血が好きなわけではないんです。

採血って痛いんですね。40分以上も針刺しっぱなしで、頭はくらくらして、そもそも低血圧なのでけっこう体に負荷はかかります。
でもそれくらい苦しいからこそ「生きてる...」って実感するあの感じには、筋トレに似たカタルシスがあるのです。

いや、「じゃあ筋トレしろよ」って話なんだけどね…。
ただカタルシスを求めているというわけでもなくて。

自分の血が、見えない誰かの元へ届くというのは、自分の生が自分ひとりで完結せずに他者へと拡がっていくこと。

その事実にどうしようもなく惹かれるんです。

「誰かの役に立つ」とか極論どうでもいいんです。
ただ”自分”という存在を拡張したい。
これって「寄生獣」でミギーが新一に融合したのと同じことなんです。
(いや、伝わらないかもしれないけど。)

ミギーは種族や個体の垣根を超えて、新一の体内に融合することで、自分と新一を共に救いました。
本来人間も、個体が独立していることそのものにはあんまり意味なんてないように感じるんです。
人間の思念・感情なんて、たった一人で生きていくのだとしたらほぼ不要なものです。
人が感情を持ち言葉を紡ぐのは、そこに必ず他者の存在があるからです。
相手がいなければ感情も言葉も意味を成しません。
人は、他者と繋がることで初めて人として成り立つとも言えます。

だから私は、他者と繋がっている実感を得られることが好きなんですよねー。
満員電車が大好きなのも同じ理由からです。

と、たかが献血という趣味ひとつでもあれやこれや考えてます。

「なぜ私はこれが好きなんだろう」
「なぜ私はこう感じるんだろう」
だけじゃなく、
「なぜ彼はこれが好きなんだろう」
「なぜ彼女はこう表現するんだろう」
って、他者のこともとことん掘り下げて心の内側を覗かせてもらうことが私の喜びです。
そうすれば、もっともっとその人を好きになれるし、その人と融合することができる気がするから。

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