スキルが全く何も身につかないし、急に覚醒して特殊な力も沸いて来ない。


得意な事は何か?何もない。

人並みに仕事や学習をしているつもりなのだが、不思議と身に付かない。あまりに特技が見つからないので今の仕事には合った才能が無いのではと思えてきた。

物凄く横着な性分の為、辛い学習に耐えられないからかもしれない。継続は力なりと聞くけど継続できない、飽きるのだ。

5年前くらいにUnityでのゲーム作りを始めた当初からツイッターでフォローさせて頂いてる方の大半は、今や個人クリエイターとして物凄く活躍していたり会社を大きくしたり、ゲーム作りだけで飯を食えていたりしていて凄く羨ましくて妬ましいが、尊敬もしている。

自分は時が止まったかのように停滞している。

もっと楽にできないか、苦労せずにシンプルでスマートなやり方は無いかを探し続けていた期間はもう三年近くなる。

エッセンシャル思考の記事を見て停滞していることは悪ではないのだと、少し救われたが、それでも会社員として毎月のお給料に甘えて創作活動することを忘れてしまっていた。

私は3Dアクションゲームを作りたかったのだけど、長い年月で作りたい想いも風化させてしまった。

回りを見ればすでに自分の開発だけで飯を食えていたり、新たなスキルを身につけている知人で一杯だ。それなのに自分は、スキルらしいスキルが身に付いていなくて変われていない。

けれども、停滞していた時間は悪いことばかりでは無かった。自分は変われていないけど、家族を取り巻く環境は大きく変わった。

家を引っ越したり、新しい家族が増えたり、子どもが独立して自立したり、パートナーが新しい自分に合う仕事を獲得したり、小学生の子どもが学習を継続できる環境を見つけたりと、自分だけの狭い世界で見ると変化は無いが、家族全体で見るとここ数年で良い方向、新しい道へ進むことが出来た。

家族のために創作をしている暇は無かったと言えば、ただの言い訳になるのだけど、環境の整備に尽力した時間は大事だったと思う。

自分が創作に打ち込む時間を、パートナーが大変な仕事をしていたり子育てで多忙を極めていたり、寂しい思いをしていたとしたら打ち込めるだろうか。

子どもの相手を全くしないで、創作に打ち込めただろうか。より効率の良い学習のやり方や、我が子に合ったやり方を見つけてあげられる時間は十分に取れていただろうか。

塾に行かせるのは親の安心のためだとは良く言ったもので、塾にいってるから安心。学習タブレットを使っているから安心…は幻想だった。うちはどちらも合わなかった。息子にとっての最適解では無かった。

学習方法をいくつか試してダメだったので次の新しい方法は息子の将来を大きく変えていける可能性が今までの方法よりかなり良さそうである。

習慣化ができてくると、安心して私も創作に打ち込めそう。子どもが頑張っているのに自分は何もしないわけにはいかないと思えるようになった。

自分以外の家族が充実した毎日を過ごせるようにすることが私にとって一番効率の良い創作活動環境の構築なのかも知れない。

全てが穏やかな環境で創作時間も中断することなくとれるようになった時、加速して先人たちを追いかけて行きたいと思う。

時間をなるべく消耗したくないと考えてはいるが、最高の使い方が出来ているかは全く自信がない。

Evernoteにアイデアだけは毎日蓄積されていく、そしてそれは半年以上読み返される事は無かったりするが、アイデアの結晶化をさせるためにも必要だ。

興味のある事の蓄積と、最短パスの模索だけは繰り返して来たのでハリボテを作るのは得意なのかも知れない。


今日もまとまりがない。
けれど、はじめの頃よりも書けるようになってきている気がする。



今回もまとまりの悪い駄文を読んで下さって、ありがとうございます。

あまりにnoteの世界が加速的に広がっていくのが嬉しくて、連日投稿してしまいました。多分そのうちネタ切れして止まります。


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