「震災」と「いつも通り」と「人の痛みが分かる人とは」の話
こんばんは。上海と申します。
不本意ながら、いつもいつでもヲタクです。
今回はタイトル通りに
ここ数日の震災を見て感じたことを
つらつらと書いていきます。
13年前の東日本大震災。
当時東北に住んでいたパチンコ友達の
震災直後のひとことが
僕は今でも忘れられません。
「こんなデカいのが直撃したんだし
今なら大当たりを引きまくれそうなのに
パチンコ屋がやってなくて辛い」
なにその発想、怖すぎ・・・。
心配させないようにとか
気を遣わせないようにとか
そういう感じではなく
パチンコが打てなくて
心から辛い時と
まったく同じ声をしていました。
#何度も聞いたことのある声
こいつまじか・・・と
ドン引きしたことをよく覚えています。
同じく13年前、震災が原因で
避難生活をしていた別の友人との会話。
「あの時は上海のTwitterに
救われたんだよね~」
___それは、面白かったってこと?
「いや!!面白くはなかった!!!」
(面白くはなかったんや・・・)
「いつも通りにスベってる上海を見て
『日常』を強く感じたんだよね
あれはありがたかったなぁ」
(僕、その頃もスベってたんや・・・)
とまあそんなことがあって
僕は大きな事件や事故
天災などがあった時も
なるべく「いつも通り」のツイートを
心がけるようにしています。
震災を経験したことがない僕には
彼らの「痛み」に
真に共感することはできません。
であれば、僕にできることは
自粛でもなく共感でもなく
「いつも通り」を維持することだけです。
もちろん「配慮」はしています。
たとえば震災であれば、地震や津波や
人の生死などをネタにしたような内容は
やはり好ましくないでしょう。
僕自身のポリシーとしても
誰かを傷つける形での笑いは
避けたいところです。
「痛み」という言葉がでてきたところで
今回のもうひとつのテーマ
「人の痛みが分かる人とは」について。
僕の考えに近しいと感じたイラストを
Twitterで見かけたので紹介します。
1本の矢の「痛み」に泣き叫ぶ女の子。
慰める子の背中には大量の矢が刺さっています。
「痛みは人それぞれだ」ってお話です。
(※作者さんの意図とは異なるかもしれません)
(※あくまで僕の「解釈」です)
震災で自宅がぐちゃぐちゃになって
水や食料に困る生活のなかでも
平気でパチンコのことを考える人もいれば
あたたかい食事と家があるなかでも
好きな人からLINEの返信が来ないことで
死にたくなるほどの「痛み」を感じる人もいる。
痛みの尺度とキャパシティは
人によって本当に異なります。
特に日本のような「モノと情報」に溢れた国では
人と比べることで感じる「痛み」に
苦しむ人が多い傾向があるそうです。
わかりやすくヲタクで例えるなら
「あいつは全通でチェキも撮りまくってるのに
俺はなかなか現場に行くことすらできない・・・」
みたいな感じ(伝わるのかこれ)
前置きが長くなりましたが・・・
そんなこんなを踏まえて
僕が考える「人の痛みが分かる人」とは
痛みは人それぞれだという前提で
考えることができる人です。
自分の尺度で相手の痛みを断じない人です。
「そんな小さなことで辛いとか言うなよ」なんて
相手の痛みに対する無理解な言葉が
人をどれだけ傷つけるかを知っている人です。
ところで先程の、矢が刺さった女の子のイラスト。
大量の矢が刺さったほうの女の子は
「同じ痛み」を経験したことがあるからこそ
相手の痛みを理解できているのでしょう。
周りの人たちが暗転しているのは
「理解できていない人たち」だからです。
「優しい」とよくいわれる人は
色んな痛みを経験してきたが故に
相手の痛みに対する理解度が高い人・・・
つまり「背中に大量の矢が刺さった人」で
あることも少なくありません。
キャパシティが大きいだけで
痛みを感じていないワケではないことには
気をつけたほうがいいかもしれませんね。
ちなみに僕もよく
「優しい人」と評されますが
推しメンからの優しい愛と幸せで
心が浄化されまくっているが故に
人にも優しくできているだけの
「ヲタクな人」です_______
#推しに感謝
珍しくノープランで
気持ちのままに書き殴ったから
だいぶ長くなっちまいましたね。
ここまで読んでくださった
優しいあなたに心からの感謝を。
これからも上海's noteをよろしくお願いします!