優しさと自己犠牲と見返りにまつわるエトセトラ
こんばんは。
上海と申します。
常に幸せな、一生脳内お花畑ヲタクです。
今回は「優しさと自己犠牲」について。
「相手に見返りを求めない」について。
関連する内容なのでまとめてお送りします。
いいねとコメント、よろしくなっ!!!
さて。
少し前にTwitterで
こんなツイートを見かけました。
「本当に優しい人は自己犠牲してしまいがち」
共感のいいねとコメントが
わんさか付いていましたが・・・
あなたはどう思いますか?
僕は少し危ういものを感じました。
優しさと自己犠牲は
絶対に混同してはいけないものだからです。
今回の話題に即して
違いを書き示すなら
こんな感じになるでしょうね。
【自己犠牲】
自分を犠牲にして他人を幸せにすること。
【優しさ】
誰かを犠牲にすることなく、
他人を幸せにすること。
たとえば、自分がいま
りんごを5つ持っているとして・・・
5つ全てを分け与えてしまって
お腹を空かせて
辛い思いをするのが自己犠牲。
自分と大切な人の
2つ分を手元に残して
3つを分け与えるのが優しさ。
こんなイメージです。
僕がこれまでに出会った
「本当に優しい人」たちは
ちゃんと自分にも優しくしていました。
「誰か」が犠牲になる関係は
長続きしないことを
よく理解しているからです。
もちろんながら
その「誰か」には
自分自身も含まれています。
「自己犠牲してしまいがちな人」は
自分を後回しにすることを
控えてみるといいのかもしれませんね。
まずは自分を「先回し」して
残った余力で人に優しくする。
我慢して人に優しくしようとしない。
自分が幸せでなければ
他人を幸せになんてできないって
ぴたテンでも言ってましたしね。
さて、そんなこんなで本題です。
「相手に見返りを求めない」について。
これは決して
自己犠牲をしろと
いうことではありません。
(あ!いまさらだけど!)
(今回の記事を読む前に!)
(前回の記事を読んでみてね!)
むしろ、相手に対して
自己犠牲になっていると
感じるのであれば、
自分を犠牲にしない範囲での
関わり方を覚えるべきでしょうね。
でないと、その関係は
いつかどこかで破綻します。
ただし!肝心なのは
見返りを「求めない」ことであって、
見返りを「期待する」のは大いにアリです。
相手に求めるのではなく
自分のなかで完結するような
見返りを「期待」する。
ちょっとこれだけだと
分かりにくいので
たとえ話をしてみましょうかね。
ここにバラの苗木があるとして。
バラからの感謝を求めるのではなく
育った後の綺麗な花を見て
「自分が」幸せな気持ちになりたい。
そういう「期待」で水を遣る。
相手のためではなく
自分のために水を遣る。
つまり、優しくするのは自分のため。
それでいいんです。
それがいいんです。
そういえば。
人気商売の現場でよく目にする
「細客は迷惑ですか?」って質問。
結論、迷惑ではありません。
迷惑だと感じる境界線は
お金をどれだけ使うかではなく
ワガママを言うかどうか。
つまり見返りを「求めて」くるかどうか。
使う金額の大小にかかわらず
あれしろこれしろと
「要求する客」が、迷惑がられるのです。
ヲタク目線の曲の歌詞に
「会いに行くが最上位」なんて
フレーズがあるけれど
相手目線にしてみたら
「ワガママ言わないが最上位」
なのかもしれませんね。
現場からは以上でーす!
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