#01 わたしが上海帯同を決めたわけ
どうも、上海アラサー駐在妻です。
結婚2年目、子供はいません。
note始めたばかりなので、まずは自己紹介がてら、なぜ私が夫(当時はまだ彼氏)についてこようと思ったのか、そこから振り返りましょうか。
30歳、変化は突然やってきた
夫に上海駐在の内示が出たのは、2023年1月、年末年始の休みが明けてすぐのことでした。
当時付き合ってまだ半年くらいだった私たちは、喧嘩も少なくお互い年齢的にも、結婚するならこの人なのかな、なんて思いつつも、まあゆっくり考えていけばいいやとのんびり過ごしていました。(少なくとも私は)
年末年始の休みはお互い実家に帰省するため会うことはできず、仕事が始まって最初の週末も、私は長年ファンを続けていた関ジャニ∞(現・SUPER EIGHT)のコンサートのため大阪に遠征予定でした。
元々そんなにベタベタする関係でもなかったので、「3週間くらい会えないね~」なんて言いながら、連絡は毎日欠かさずとっていました。
そんな中、年明けの仕事が始まってすぐ、彼から「今週末ちょっとだけでいいから会って話せない?」と連絡がありました。
「あれ、今週末はコンサートだって言っておいたのにな。こんな急に別れ話でもないだろうし、生もののお土産でも買ってきたか?」なんて呑気に考えながら、私は大阪に向かう前の東京駅構内でなら、と伝えました。(今思えば、もっとちゃんと対応してやれよ、自分。笑)
東京駅構内のカフェを併設したパン屋さんで、私たちは朝食をとりながら話をすることにしました。(朝食を食べていたのは私だけですが。)
「時間もないし、単刀直入に言うね。上海出向が決まりました。」
私が30歳の誕生日を迎えて、25日後のことでした。
海外で暮らしたいなんて、思ったこともなかった
実をいうと、付き合っていた時から、なんとく数年以内に海外出向になるかもしれないという話は聞かされていたのですが、海外暮らしに全く憧れがなかった私は「海外で暮らすとか、絶対無理だわ~」と冗談めかしてきちんと取り合っていませんでした。
帯同の意志がないと伝えることで海外駐在の話を断ってくれるのではないかという、淡い期待があったのもあります。
しかし、会社はそんなに甘くありません。
彼も特に海外希望を出していたわけではありませんでしたが、年明け早々、すでに決定事項として内示が知らされました。
私は混乱しつつも、
「いつから行くの?」「任期は何年なの?」「向こうでの生活はどうするの?」
など、現実的に気になった部分を次々に質問しました。
当時は世界中が新型コロナウィルスの混乱からやっと抜け出し始めたころ。
大幅なロックダウンを行っていた中国も、その前年に急激な方針転換を行い、外出規制を一斉に解除しました。
ほとんどの中国国民が一度はコロナに感染する中、感染が少し落ち着いてきたところで、中国政府は完全に制限していた外国人渡航者へのビザ発行を再開。
夫の会社では、前任の駐在員がコロナの影響で任期が長くなってしまっていること、そして現地スタッフの辞職が重なり、早急に誰かを送り込まなければならないという状況でした。
夫は、「ビザ申請が通過し次第すぐ」という、なんとも不明確な赴任時期を告げられ、すでに申請書類の準備などを進めているところでした。
「これから私たちの関係はどうなるのだろう?」
そんなことが一番気になりながら、お互いになんとなくそのことには触れられませんでした。
ドラマだったら、「俺についてきてくれ!」なんてお決まりのセリフを言うのだろうけど、そこは良くも悪くも相手の気持ちを尊重してしまう彼。
私が言った「海外で暮らすなんて無理」という言葉を覚えていて、とりあえず事実を伝えることしかできなかったのだと思います。
気が付けば30分ほど無言の時間が流れ、特に今後の話をしないまま、私は大阪行きの新幹線に乗り込みました。
遠距離恋愛するか、別れるか、結婚か
大阪に向かう新幹線の中、私はやっとひとりで事実を受け止めることができました。
決まってしまったものは仕方ない。
これからの選択肢として、頭に浮かんだ考えは3つ。
このまま付き合い続けて遠距離恋愛をするか、別れて違う人を見つけるか、結婚してついていくか――
一番今の状況を変えなくて済むのは、このまま遠距離恋愛を続けることです。
幸い東京での自由な暮らしは性に合っていましたし、仕事も自分のやりたいことができるようになってきて、充実した毎日を送っていました。
しかし、私も30代に突入。彼の任期は3~5年程度。
もしこのまま付き合い続けるとして、結婚できるのはいつなんだろう?
そのあとにもし子供が欲しいと思っても、すぐに授かれるとも限らない。無事に産めるかもわからない。
絶対に子供が欲しいとは思っていたわけじゃないけれど、初めて出産のリミットを実感した時でした。
今までも連絡や会う頻度は適度に間隔があいていたので、遠距離恋愛をしても寂しくて別れることはない自信はありました。
でも、離れているとだんだん、お互い見える景色が違ってくるもの。
大人として振舞っているうちに、次第にお互いの必要性を感じなくなってしまうのではないか、そんなことも容易に想像できました。
だったら、もし彼との未来が見えないのなら、時間を費やす前にここで別れて違う人を探すか?
そんな考えも一瞬浮かびましたが、これだけは本当にすぐに消えました。
ここで別れても、彼以上に私を大切にしてくれる人に出会える想像が、全くもってつかなかったからです。(のろけ、ごめんなさいね。)
そうなったらもう、選択肢はひとつだけです。
結婚して、上海についていく。
苦手意識のあった海外生活、好きな仕事を辞めなければいけない、家族や友人とも気軽に会えない、現実的にはリスクが山積みです。
でも、それらは私が日本に残らなければならない決定的な理由とはなりませんでした。
プロポーズの言葉は「結婚しようぜ」
上海出向については、その後LINEでも何も話さないまま、一週間が過ぎました。
私は、一度はついていくと決めたものの、やはり様々なリスクに決心が揺らいだり、そもそもプロポーズもされていないのについていこうなんて、相当な勘違い野郎なのではないのかと自分を疑ったり、気持ちが行ったり来たりしながら、長い一週間を過ごしました。
次の週末、私たちはいつも通り買い物に行ったりご飯を食べたりして一緒に過ごしました。
この一週間、人生で一番といっていいほど悩んだ私は、自分の姉や、周りの信頼できる人に話を聞いてもらったりして、この日にはもう自分から結婚について切り出そうという決意が固まっていました。
かっこいいプロポーズにも少しは憧れはあったものの、前回の彼の様子や、今まで一緒にいて見えてきた彼の性格を考えると、やはり私に無理強いしてまでついてきてほしいと言うことはないだろう、自分から言わないと何も動き出さないなという判断です。
やはりその日は彼から上海出向に関する話は出ず、なるべくいつも通り楽しく過ごそうとしている様子が伝わってきました。
夕食を食べ終わったころ、彼が突然旅行に行こうと言い始めました。彼なりに、限りある時間でできるだけ思い出を作っておきたかったのだと思います。
しかし、こっちはすでに具体的な結婚までの道のりが頭に描かれているわけです。まだお互いの両親にも会わせたことがないのに、いつ上海へ行かされるかわからない状況でのんびり旅行に行っている暇などありません。
私は「今だな」と思い、話を切り出すことにしました。
「あのさ、先週話してくれたこと、ちゃんと話をしたいんだけど」
彼は話の内容を察知したようで、私に向き直りその場で正座をしました。
前回上海出向について伝えられた時、彼から「ついてきてほしい」という言葉はありませんでしたが、年に何回は帰ってくるとか、チケットを送るから上海に遊びに来てほしいとか、とにかく別れたくないという思いは強く伝わってきました。
その発言に対して、まだ頭の整理ができていなかった私は何の返答もできていなかったわけですが、ここで私の良からぬ悪戯心が沸いてきて、もう少しだけ彼を泳がせてみようと思い立ちました。
「前回さ、私も混乱していてあまり覚えていないんだけど、改めてあなたがどうしたいか聞かせてくれない?」
そこで彼は、「そうだよね・・・」と神妙な面持ちで話し始めました。
まず、上海出向の話を断れなくてごめんということ、そして前回同様、毎日電話するとか自分ができることは精一杯するし、なるべく頻繁に会いに帰ってくるから別れたくない、ということを不安げながらしっかりと伝えてくれました。
もうその時点でだいぶ嬉しかったのですが、劇的な演出のためには、もう少しギャップを作っておかねばなりません。
彼の話をひと通り聞いた後、私はこう問いかけました。
「ということは、あなたは遠距離恋愛をしながら付き合い続けたい、付き合い続けられると思っている、ということだよね?」
自信なさげに「うん。」と答える彼に対し、
「私は、それは無理だと思う。」
と、この一週間で考え続けたことを話し出しました。
関係性的には一時的には遠距離恋愛でもうまくいくかもしれないということ、でもそのうちに付き合っている意義がわからなくなってしまうだろうということ、年齢的にもここからの5年間は非常に重要な期間だということ、次に進むには今この場で舵を切った方がいいかもしれないということ――
聞きながら、彼はどんどん寂し気な表情になっていきました。きっとこれからマイナスのことを言われる想像しかつかなかったのだと思います。(話の内容的にはポジティブに捉えてもいいのにね笑)
私もだんだん申し訳なくなってきて、これ以上は無理だと思いました。
「だからさ・・・結婚しようぜ!」
そう伝えた後の彼の表情は、今でも忘れられません。
いままで見たことがないくらいにはっきりと目を見開き、神にも縋るような表情で私を見たあと、その場に突っ伏して泣き始めました。
私は驚きと可笑しさで思わず笑いだしてしまいましたが、心の中は嬉しさでいっぱいでした。
こうして、今まで想像もしていなかった私の海外生活が幕を開けることになりました。
つづく。
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