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良いリーダー演じるのは辞め、嫌われてでもチームを勝利に導く

良いリーダー演じるのは辞め、嫌われてでもチームを勝利に導く

さっそく本題に入ります

僕が独立して3年、個人事業主から法人成りして1期目の決算が終わり、全くのド素人から初めて3年2ヶ月が経ちました

これまで僕はとにかくスピードを意識して、猪突猛進できましたが、振り返ってみるとお粗末な点も見つかり、改善することだらけです


まず、一つこれまで部下に嫌われない優しいリーダーを演じることで部下は気持ちよく働け成長できると考えていました

この考えは大失敗


会社は完全にマンパワーで、社員、アルバイトの質が低い結果となりました


リーダーの役目は社会にとって必要な存在となり、目的地を明確にして、何がなんでも存続させて、利益を残し、社会や組織に還元することです

今までは周りの目を気にしていましたが、もうそんな考えは捨て去ります

誰からも好かれる人徳者になることを辞め、誰に嫌われようが、恨まれようが、冷たいと言われようが、結果を出すことのみに拘ります

それができる人になる為に、不必要なものは全て削ぎ落とします


次に感情によるマネジメントの弊害も経験しました


ルールと評価制度を見える化せず、社長の主観で評価していくと、社長のご機嫌取りやをする社員や、結果は出せてないけど頑張ってるから評価してあげよう、、などの感情によるマネジメントが起こる組織

『実利』とはお金では、ありません
が、夢を達成するに必要なのは『利益』です

経営者としての道を選んだ以上、社会で価値を生み出し続けなければ会社は存在できずなにも守れません


そして会社を大きくしようと思えば思うほどうまくいかないもどかしさの正体に気づきました


なぜ離職は起こるのか?
ネガティヴな退職とポジティブな退職理由、様々ありますが今回はネガティブ退職
これについて考えました

僕が、考えるに1番の理由は楽な方に逃げたいと人は考えるからです
良くも悪くも楽な方に逃げても最低限食べていける環境が日本にはあります


これは前回の記事でも書きましたが「欲」のエネルギーがあまり無くて、自分の本能に忠実に生きる人はなにをやっても長続きしません

そうした社員は高速でPDCAを行う会社では生き残れません
組織大きくするには最初は「人」です
資金もなければモノもない、ならば人を育てるのに集中するしかないです
そしてそのPDCAが早ければ早いほど社員はしんどいはずです
しかし、その環境下でふるいにかけられ残っていく人たちで構成される組織は強いはずです


日本に仕事は沢山あり、選択肢も無数にあります
今、置かれてる環境が少しでも悪くなれば人は楽な方に楽な方に行こうとします
まさに隣の芝生は青く見える。です
しかし、新たに移った芝生が想像通り青いかどうかは誰にもわかりません
SNSでは様々な会社の社風が見れ、社員同士の楽しそうなBBQや海水浴、慰安旅行ありとあらゆる楽しそうな、情報が毎日飛び込んできます
これも一つの戦略なのですが、本当に強い組織やサービスを持つ会社はそんなもので釣らなくても成長します
なぜなら彼らは、社会にとって「あったら良いな」ではなく「なくてはならない」という圧倒的な需要を持つからです
そして、社員が本当に成長できる環境づくりができているからでしょう
サービスも強く組織力も強い

わざわざやりたくもない仕事をしなくても、ある程度は食べていけるのが資本主義社会の構造です


では、この構造の本質はなんでしょうか?


大阪USJを倒産からV字回復させた立役者のマーケターの森岡毅さんの著書ではこう記述されています

資本主義は、人間の「欲」をエネルギー源にして、人々を競争させることで社会を発展させる構造を持つ

欲を人質にして、人々を競争させることで人々に怠惰や停滞を許さず、生き残るために常に進歩と努力を強いていく構造になっている
「欲」をエネルギー源にすることでより多くの「欲」を満たすループ構造になっている

資本主義は「欲」を人質とし、「競争」が主な構造だ
「人は平等ではない」という真実を重ね合わせると、君の生きているこの社会がより明確に理解できるようになる

家族に良い暮らしをさせたいという欲、良い車や家が欲しいという欲、様々な欲を満たす為に人は仕事を頑張るのです

僕が見てきた成功されている経営者の方々も、やはり野心家であり、誰より「欲」が強いように見えます

話を最初に戻しますが、強い組織作りの為に、当社は去年から「識学」というサービスを使っています
これを導入して思ったことは、「識学」のロジックはまさに「劇薬」である。
ということです

これなら間違いなく結果を出す強い組織になれます

しかし、良薬は苦いとはよくいったもので馴染むまでは痛みを伴います

まずは、「良い社長になろう」という考えが大間違いなことに気づかされました
それはつまり「1人の人間として好かれたい、人気者でいたい」という承認欲求の現れです
会社のため、社員のためと社長自らやっていた飲み会も社内イベントも全ては自分の為にやっていたことだったのです

会社の為、社員の為という大義名分を掲げ色々と行動を共にするがそれら全ては社長自身の承認欲求を満たす行い、孤独を紛らわす行為に他ならないのです

おそらく、これは会社のビジョンによって合う合わないがそれぞれ存在するのかなと思います

例えば、大阪から京都へ1年かけて到達するという目標を掲げる集団ならそこまでスピードを意識せずのらりくらり仲間と遊びながらでも達成できるでしょう

しかしもし日本から真反対の国へ5日で到達しなければならないという目標を立てたならどうでしょうか?

1日目から社員と飲み会を開いたりBBQをしたりしますか?
それよりもチケットの手配や許可を取ったりだと準備にみんな追われると思います

はっきり言って最初から社長や会社に魅力などは必要ありません
それを錯覚して、飲み会や厳しいことなど言わない優しい上司を演じることで魅力を担保しようとするのです
それをすると、厳しい言葉を突然かけられた部下はどう思うか?
「ああ、自分の利益が減った」と錯覚するのです


そんなことせずとも、結果を出せば自ずとそんなものは後からついてきます

売れているタレントは表舞台でちやほやされて、売れてないタレントは表舞台に出れない

残酷ですがそれがこの世の中の真実です

だけどそれが面白いと僕は思います、チャンスは限りなく平等に近い
それをつかめるかどうかは努力の量
その人が生み出す結果によって、扱いには残酷な格差が存在するのです

競争のチャンスだけを公平に近づけておけば、競争の結果に対しては勝利者に報いて、敗者が最低ラインまで落ちることを「良し」とするのが資本主義の社会ならこんなに面白い世の中はないと僕は思います


誰から見ても良い人では、なにも守れていないのと同じです

それでは、今日はこの辺りで

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takahiro ikegami @ta_10r

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