第六講義「借金1億円を背負った元落ちこぼれ、26歳社長の波乱万丈な人生語ります」エピソード②
*前回の続きです
その日に退院した僕は、家具も家電もなに一つない2LDKの空っぽの家に帰宅しました(当時は友人とルームシェアをしていたのですがコンテスト直前に引越したのでひきはらう直前でした)
なにも考えられなかったです、というよりなにも考えないようにしました。考えだすとますます落ち込むので。一種の燃え尽き症候群に近いもので、3〜4日ほどはなにもしたくありませんでした。
少しして立ち直ってからは、またアルバイトを続けながら、服作りを続けていたのですがしばらくして当時の付き合っていた彼女との間に子供を授かりました。
今でいう授かり婚というのでしょうか
この当時の僕は21歳のフリーターで金もまったく無い、持っているのは強烈に叶えたいと願う実現には程遠い夢くらいのものです(笑)
この時は本当に精神的に参りました
大好きな仕事をクビになったり、あと一歩で掴めそうだったチャンスをみすみす逃したりそれ以外にも辛かったことはたくさんありましたが今回はそれ以上に精神的にしんどかったのを覚えています
彼女はもちろん産みたいという気持ちです、しかしなんどもお互い話し合ったのですが、なかなか結論がだせず時間だけが過ぎていきます。。僕が結婚という選択にどうしても踏み切れなかったのです
理由は3つ
当時のぼくに家族を守るほどの経済力がなかったこと
自由気ままに生きていきたい性格のぼくにとって誰かに行動を制限される環境が耐えれる自信がなかったこと
夢を諦めなければならないこと
ひとつ目は、職種さえ選ばなければ、どんな仕事でもいいので就職さえしてしまえば生活するのに問題はありませんが、しかし歳の近い周りの友人はまだまだ遊びたい盛りの青春真っ只中です、それが後々になりうらやましく感じ自分はそれに耐えれるのかという心配
2つ目は、ぼくの中で結婚したいという欲求が当時まったくなかったのです。彼女のことはもちろん好きだったのですが、自分の結婚生活のイメージはやはり束縛
という二文字が強くぼくは好きな時に好きなことをして生きていきたいというタイプでしたし、そんな甘ったれで我がままなぼくは自分のことだけで現状、精一杯。そんな人間が奥さんを養い子を育てるなんてことが果たして可能なのか?
こんなのは子供が子供を育てるようなものだ、、、絶対にむり、、と思っていました
ぼくは昔から両親とは仲が良くなくて、疎遠に近かったのでそちらに頼ることもプライドが許せませんでした。
職場の尊敬する先輩や、当時ルームシェアをしていた専門学校時代のぼくの中ではお兄ちゃんみたいに慕ってる先輩、地元の親友、信頼の置けるごく少数の人にだけその事を相談しましたが、ぼくをよく知る方々はやはりみんな口を揃えて今回はやめておいた方が良いとアドバイスをいただきました。
そして3つ目がぼくを結婚に踏み切る選択をためらわせていた最大の原因です
夢を諦めるということだけはどうしてもぼくの中で譲れませんでした
しかし結婚して、やりたくもない仕事に就職して残りの人生を過ごすというのは夢を諦めることに繋がると思いました。これだけはどうしても無理だ、、そう思いました。
しかし、時間は待ってくれませんので、決断は急がなければなりません
この時ほど人生で頭を抱えたことはありません
とにかく一人で考えました。
その時ぼくはこの3つの問題点の解決策を考え結論を出しました
今おもえば解決策でもなんでもないのですが、、、(笑)
ひとつ目の問題も、2つ目の問題も最終的に着地する実現困難な原因は
『お金』だったのです
お金がないから、やりたくもない仕事をしなくちゃならない。
お金がないから時間もなく自分の遊ぶ時間を作れない。
お金がないから自分のやりたいことを自由にすることができない。
「だったら起業して社長になっちゃおう!」
これです(笑)
なにもどちらか一方を切り捨てなくても両方を救えば良いと思ったのです。
これならみんな幸せです、「お金があれば嫁と子供も養えるし夢を諦める必要はない。多少、遠回りするがファッションとは別のビジネスを成功させてから、経済的に余裕を持ってから。今度こそ夢を掴みにいくのでも遅くはない!」
そしてぼくは結婚に踏み切り、まずは当面の目標としてお金を稼ぐことを決めたのです。
続く