第7講義「借金1億円を背負った元落ちこぼれ、26歳社長の波乱万丈な人生語ります」エピソード③[起業編]
こんばんわ、最近物凄く寒いですね
大阪では珍しく雪が降り積りましたが、ぼくは全国各地 お仕事でいくので雪には慣れっこです。
さて
今回も前回の続きです。長くなりますがまだまだお付き合いください。
今、この記事は自分のことを知ってもらいたくて書いているわけではありません
何かに挑戦をしたいが怖くてあと一歩が踏み出せない人たちにぼくのこれまでの人生を通じて勇気を持ってもらうために書いています
なぜならこんな落ちこぼれでも今こうして楽しく生きていけるのですから
*前回の続きです
結婚して、夢を掴むために、家族を守るために
ここからぼくはお金を稼ぐことに一点集中で全エネルギーを注ぎます
今までしていた服作りも一切をストップして、アルバイトも辞め嫁のお姉さんの旦那さんが隣の街で鳶の会社を経営されていたのでその会社に正社員で就職しました
この会社では、様々な分野の施工技術と、特に「礼節」を教わりました
その会社はものすごく厳しい会社で、社長からすればぼくは親族にあたるのですが、甘やかすどころか特に厳しく育てられました。
まさに今時に珍しい 縦社会といったところで、挨拶ひとつ、ご飯の食べ方ひとつ、何から何まで厳しく徹底的に叩きこまれたのです(間違えると社長からボコボコです笑)
当時はそんな厳しすぎる教育方針に不満を持ちもの凄く腹も立ちましたし、組織に馴染みにくい僕はよく先輩社員と仕事のことでよく衝突していました
とにかく就職はしましたが、ぼくはこの会社に貢献しようとか、この仕事を一生やっていこうという気持ちはさらさらありません
(会社に貢献に関してはその会社が好きであればそんな気持ちも芽生えたかもしれませんが当時は会社のやり方が気に入らなくてそんな気にはなりません)
ちなみに現在はその会社にも社長にものすごく感謝の気持ちがいっぱいです
やはりここでも得たものは大きく、出会ってなければ今のぼくは確実に存在していないのです、人生で無駄だったことなど一つも無いのだと凄く実感しています
そして現場が終われば、本を買い漁り、投資・投機を始めたりでとにかく無我夢中で様々なお金の勉強をしながら、独立できるタイミングを狙っていました
しかし、ここで独立するにあたりどんな仕事をするか
ここが重要になってきます
そこでぼくは今、自分が持っている、自分の武器はなんだろうか?
これを考えました。①現場仕事で身につけた施工技術 ②コミュニケーション能力③飲食店で働いた経験
①番の方法で独立し、専業として仕事にするのは現実的ではありませんでした。何故ならぼくはその仕事を始めてまだ半年しか経っていません、技術もまだ未熟でお客さんになってくれそうな会社も1社も知りません。しかしこれだけインターネットが発達していて人手不足の業界であれば、応援という形で一人親方としての働き方の需要はありそうでしたので、これは本業があっての、副業としてひとまず置くことにしました。
次に②番についてですが、ぼくは自分を客観的に見たときに、コミュニケーション能力は昔から優れていると思ったのです。思い返せば、ぼくは年上の方に可愛がってもらえる機会が多く、言い方を変えれば 人の懐に入るのが得意でした
これは特に意識していたわけではなかったのですが、ぼくは基本的に年齢の差というに全く抵抗がありません。なので仕事で知り合った方で、10個や20個年の離れた方とでも誘っていただければどこでもすぐに付いて行き、上司の方とでも時にはキャンプや泊まりで旅行に連れて行ってもらったりもします(勿論、ぼく自身が好きな人としか行きませんが)
であれば、この能力を行かせるのは何か
「接客業」
に辿り着きます
では接客業といえどいかなり広範囲になるので次に、範囲を絞るための作業です
色々ありましたので、昔から可愛がってもらっていた飲食関係者の社長に久しぶりにお会いし現状の報告と起業したいがどうすれば良いか相談することにしました。
するとその方から言われたのは、目から鱗の「唐揚げ専門店をやれば良い」
でした
これは何故かというとぼくは昔、飲食店のアルバイトで唐揚げ屋さんで働いていた経験があったからです。
ぼくはこれなら初めての経営でも自分ができると思ったのです
唐揚げ専門店なら、収益とキャッシュフローの形態も自分が理解しているし、原価も安く利益率も良い
何より特別な技術が必要ないので人に継承しやすい、自分が現場に常にいる必要がないのです
ぼくは起業すると思いついた時から、稼ぎ方の方法として
決めていた事があります
それは、社長が現場にいなくても自動運転で会社を操縦できる仕組み作りを作る
これに初めからフォーカスしていました、ぼくが仕事をしたくないからではなく、本当にぼくがやりたい事は、「ファッションデザイナーで世界を目指す」だからです。つまり最初から会社も事業も出口からぼくはイメージします。
現在も事業を軌道に乗せる為のサービス開発やマーケティングはぼくが先陣をきってやりますが、売上さえ安定させてしまえば「継承」「売却」「M&A」「コンサル」のどれかに持っていきます
つまり、このどれもが不可能なビジネスにぼくは手をつけないことを決めていたのです
すこし話が逸れましたが、唐揚げ専門店は特に継承しやすいビジネスだと思ったので会社を辞めて始めることにしました
しかし、当時は正社員で就職こそしていましたが建設現場の仕事は天候により左右されるので、給料は手取りで20〜25万程度。
子供と奥さんを養うのにかかる費用と、、余ったお金は全部自己投資に突っ込んでいたので
ぼくは無一文です。
貯金など全くありません(笑)
しかし、小規模ビジネスの唐揚げ専門店といえど開業資金は600万円以上は必要でした
本来ここまでは掛からないものですが、ぼくには「出口戦略」とはもうひとつ別の「戦略」がありこの作戦を成功するために600万という多額の投資をする事に決め、③番の方法で起業することに決めました
次回は、無一文のぼくがどうやってお店を作ったのか?もう一つの戦略とはなんなのかについて詳しくお話ししていきたいと思います。