ポーカーで生きたいだぁ??

ポーカーで生計を立てるプレイヤーと趣味でポーカーをするプレイヤーの大きな違いはコンプレックスを抱えるかだと思う。稼げなかったり周囲の成長についていけなくなったときに拗らせがち。

専業になりたい若者と絡んで思ったこと書いてみるよ。惰性で医者になるくらいなら、自分の意志でポーカープロにチャレンジしたい。
志実ればポーカーで自由な生活ができる、挑戦して失敗しても諦めつくので踏ん切りついて医者になれる。
確かに聞こえはいいが、「挑戦して諦める」って言う程簡単に区切り付けられるか。失敗の線引きをかなりはっきり決めないとずるずる続けちゃいそう。何か見えないリスクがあるような。書いてみよう。

ポーカーを生業にすると大なり小なりその事がアイデンティティに加わる。「僕は今日からポーカープロなりまあぁーす!」ってTwitterで世界に向かって宣言する人がいるのはそのためだ。(他の職業でもあるが)
選んだ仕事で自意識が膨らむわけだよな。覚悟を持つ分プライドも高くなる。誇り高い自我に変わる人もいる。人間そういうもん。
特にポーカーの場合は、やりたくないけど仕方なくこの仕事やってますってな人はほとんどいない。なのでより仕事と自尊心の絡み合う傾向が強いと思う。そもそもポーカーは競技の類だしね。

ゆえに、思うように結果が付いてこなかったり周囲のレベルについていけなくなるとアイデンティティを損傷することになる。
コンプレックス、劣等感を抱えてしまう。
競技とは残酷だ。敗者が必ず生まれる。次は自分かもしれない。
そのつもりで参加しないと強烈な劣等感を抱える。

ポーカーはプロスポーツのように現役引退や二軍落ちや解雇といった区切りがない。

見苦しくしがみつけてしまう。しがみつこうと思えばいくらでもしがみつける。例えば、具体的にはヌルいテーブルを探して彷徨い続ける。
お前はポーカーテーブルの幽霊船かよ。
傍から見ると死んでるのと変わらん。
初めからそのつもりだったり身の振り方として元々想定していたり戦略的に選択してる場合は大丈夫だが、不本意に適応できずあがくことになってしまったプレイヤーは病んでる。SNSで交わされるポーカー話を直視できない。
理解できないから。コンプレックスが刺激されるから。
君がポーカーの道を本気で考えるなら見つけるべくは華々しく強い憧れのポーカープレイヤーだけでなく、ギリギリを這いずり回りダンゴムシのように陰で凌ぐプレイヤーも見つけるべきだ。反面教師も観測した方がいい。将来もレンジで見るんだ。分岐をすべて精査しろ。

俺はポーカーというのはレースや駅伝のような側面を持つゲームと考えている。純粋な勝敗ではなく、タイム差のようにbb数というスコアの差がお金に直結するゲームである。相手とのレベル差に応じて稼げる。

ポーカーを生業にしている場合、さしづめサバイバルレースに強制的に参加させられてるようなもの。他の選手との距離の差、その差と継続時間に比例して賞金が稼げるレースだ。競っているのはテーブル上の相手だけと思っているなら想像力が足りない。時代を生きるプレイヤー全員だ。長期でやってるのは人生スパンでの駅伝に近い。ただ走り続けるだけでは足りない。無限に増え続ける後続の選手に差を詰められないよう、周回差を付けられる程走り続けなければ大して稼げない。ジリ貧の焦る人生になる。淘汰に追いかけ回されてしまう。酷なことに後続は道路が舗装されているため猛スピードで追いかけてくる。ポーカーツールが進化していたり知識が整備されているから。
だから、俺は思う。走り続ける気がないのにこのサバイバルレースに参加してしまうのは人生を捨てるようなものだと。

自分がどんなゲームに参加するのか解像度をできるだけ上げておかないと
駅伝なのに「なんで僕は走り続けないといけないんですか?」と馬鹿げた苦しみを味わうことになる。

具体的に言おう。一見くそつまらない、君が興味を持てない座学は避けられない。英語も避けられないし数学も避けられない。
そのいうのも含めて楽しめるかどうかが重要。
楽しめる感覚を持っているか世界観を構築できるかが重要。
真面目に楽しんでれば勝手にお金は増えてる。

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