ゴールデンエイト
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無印良品が好きだ。
無駄を削ぎ落とした家具やファッションはそれぞれに機能美を宿し、使い易さを追求した日用品は使えば使うほど生活に馴染んでいく。一昔前まで石器でウホウホしていた我々にとって、これ程までに進歩した実用性というのは、一周回って余りにも刺激的である。
ケルト風のBGM、心和らぐアロマの香り。私生活でも驚異のクオリティオブライフを実現させていること請け合いの、爽やかなスタッフたちの穏和な接客。
それに、現在無職の私を「無印良品だって無印っていうブランドなんだから無職だって立派な職業だよ」とほんのり自己肯定感を補ってくれる名前も良い。出来れば住みたい。
とにかく、無印良品の空間を構成する全てが、私にとって何度も足を運ばせる理由であり、
何人たりとも侵すことのできない、深い悦楽の世界であった。
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二月中旬のその日は、とある製品の受け取りに無印良品仙台ロフト店を訪れていた。鼻腔をほんのりと広げるような優しいアロマの香りに心安らぐ。結婚するなら無印良品の匂いがする部屋に住む女の人が良い。
意気揚々と受け取らんとするは、やや手狭になったクローゼットを拡張する為に注文した、「スチールユニットシェルフ・ワードローブセット」である。
こんなの
数ある無印良品の中でも最長レベルの文字数を誇り、ダニエルラドクリフにそれっぽく叫んで貰えば呪文に聞こえなくもない響きだが、恐らく守護霊は出てこない。
受け取りの旨を小柄な女性スタッフに伝えるとかしこまりました、とにこやかにバックヤードに消えていく。一見自然な笑顔だったが、今思えば目の奥には少し動揺が見え、笑顔というより表情筋が緊張したようだった。他の店員の視線も、何だが違和感がある。
致し方無いのかもしれない。
何故なら私は結構な重量のユニットシェルフを持ち帰るのだから。運送業者の手を借りず、文明の力を借りず、
この身一つで。
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節約王をご存知だろうか。私は知らない。
今思いついたので適当に説明する。
仕事を辞める決意をしていた当時の私は、目の前に広がる白紙の地図の、驚きの白さに愕然とし、膝から崩れ落ちた。
次の仕事が決まるまでは、とにかく貯蓄を大切にする、一生守るよ、結婚しようと決意し、日常に蔓延るありとあらゆる無駄な経費を倹約することに務めていた。
例えば東にコンビニでお金を降ろそうとする者がいたならば「金を下ろすのに金が掛かるのは本末転倒だ」と諌めてやり、
西に飲み会に参加しようとする者がいたならば「宅飲みこそコストパフォーマンスの頂点、起こせ宅飲みクス」とユーモラスに助言し、
南にタクシーを使う者がいたならば「この成金さんめ!」と心の中で叫んでやり、
北に、つまりここ仙台にギリギリ手で持って帰れそうなレベルの家具に数千円の送料をかけるべきか迷っている者がいたならば「がんばるぞい」と自らを鼓舞してやるのだ。
かくして節約王の名を欲しいままにしていた私は、注文時に同席していた友人の心配も、自分で持って帰る人は見たことがないというスタッフの助言も
と確固たる意志を顕示したのだった。
それは何故か。私が烈海王だからである。
否、節約王だからである。
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「おっきぃ」
同人誌でお馴染みのセリフをよもや私が言う日が来るとは。
優に高さ2メートルはあろうかというダンボールが荷台に載ってゴウンゴウンと近づいてきた。
「お待たせしております〜」女性スタッフの鷹揚な声が段ボールの後ろから聞こえる。
つまりは人一人分くらいは余裕で隠せるくらいの大きさのものをこれから私はこの手で持って帰ることになる。
屹立した段ボールをいざ目の前にすると、小1から見える小6児童の巨大さというか粗暴さというか、得体の知れないものを目の前にした時の恐怖を感じたあの頃を思い出した。
実際はことのほか自分の背丈と変わらなかったが、蛇に睨まれた蛙、否、段ボールに睨まれた無職は、第一印象で臆してしまった。
逆に何でこれ持って帰れると思ったん?と心の中の節子が問う。あれや。兄ちゃん勉強してないのに何故かテスト前日に謎の万能感に包まれる現象に見舞われたんや。
威圧する段ボールときょとんとしたスタッフを目の前にして私は、既に白旗を上げたい気持ちだった。
しかし私は節約王だ。相手方のこれしきのパフォーマンスに怯んでいては、次の職に就く前に即身仏になってしまうだろう。
自宅は仙台駅から徒歩15分。いける。それくらいならいける。絶対に自分の力のみで持って帰ってみせる。
日夜の自重トレーニングで隆起した、この上腕二頭筋を見よ!
両親より受け継いだ、この逞しい健脚を見よ!
そして何より、絶対に、絶対に節約するという、節約王の生き様を見よ!
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「乗らないよ、そんなにおっきいの」
「ですよねえ、こんなにおっきいの」
運転手は、私の横に並ぶ段ボールを見るや否や即答した。何故日本のタクシーはユニットシェルフを運べるサイズにに設計しなかったのか甚だ疑問である。ユニットシェルフを運べないタクシーなら無くとも良い。
先程、店頭からいざ参らんと段ボールを抱きしめる形で持ち上げようと力を込めたのだが、
その瞬間に私の脳裏に浮かんだのは
アフリカの雄大な自然だった
圧倒的重量。段ボールにこんな事を言うのも憚られるが、見た目以上に、着痩せするタイプだった。自分の背丈ほどの段ボールに、ユニットシェルフの部品が緊密に納まっており、ほのかに香る段ボールの古紙の懐かしい匂いも相まって、神秘的なオーラを放つ、バオバブ的な大樹に抱きついているような気さえしたのだ。
私は、受け取りの一週間前、つまり店頭でこの商品の購入を決意した時は「このユニットシェルフ、7.8着は余裕でディスプレイ収納できるのに加え、帆布の引き出し(二段もある!)にも充分な容量の収納がある。天板の上のスペースにも別売りのバンカーズボックスなどを配置すれば、この世の全ての煩雑な小物を収納できそうではないか」などと考えていたが、今このユニットシェルフに対する感想は「重い」以外浮かばなかった。着痩せするタイプで重いとくれば、何となくメンタルがヘラの方の条件のようにも聞こえるし、抱き着きたくもなくなるというものだ。
ギリギリ浮かばせることはできるが、五、六歩も歩くと身体中が震え、到底歩いて持ち帰れそうもなかった。
これは壮大だ。スケールが大き過ぎる。人間が踏み入って良い領域ではない。霊とか物の怪とか、運送業者とかを使わないと運べない類の重量だ。そう感じ取った私は、節約王の玉座を次なる世代へと空け渡し、タクシーを使うというナイスなアイディアでこの艱難辛苦を乗り越える英断を下したのだった。
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見事なまでに、後部座席もトランクも収まる気配が感じられなかった。
難色を示しながらも努力をしてくれた運転手であったが、どんなに頑張ってもはみ出るバオバブのおしりを一瞥すると、やがて力無く「やっぱり、無理ですね」と漏らした。往来する車両の音に紛れるような、小さな声だった。タクシーのテールランプを見送り、私はやや長めの溜息をついたあと、肩を落とした。
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見える。目の前に藤井聡太が見える。王手、とか言いながら、将棋盤の上にあるタクシーのミニカーをひっくり返している。そのあとは手持ち無沙汰なのか、圧倒的な余裕の表れなのか、僥倖僥倖と言いながらマジックテープのサイフベリベリしている。
「中学生がどこでそんな言葉覚えたんだ。カイジか。中学生がカイジ読んで良いと思ってんのか!」対局している私は辛うじてそう吐き捨てた。世紀末リーダー伝たけしでも読んどけや、コラともうわ言のように続けた。可哀想に、私は土葬されたばかりの死体みたいな顔色で、脂汗をかき、今にも嘔吐してしまいそうな
、まさに満身創痍といった様相だった。
タクシー無理、車持ちの友人無し、腕力無し、無職、夜21時。積んだ。完璧に、積んでいる。
脳味噌が捩れるような焦燥のなか、秒針だけが正確に時を刻んでいた。
銃声が響いたのは、その瞬間だった。私も聡太も仰天し、というよりも脊髄反射的に身を屈めた。どうやら隣部屋からの襲撃のようだった。ダララダララと銃声が連続した。襖に穴が空き、天井が軋み、埃がぱらぱらと落ちてきた。しばらくの無音。私は土下座のような姿勢で座布団を頭の上に乗せて部屋の隅で仔犬のように震えていた。すごい。妄想なのにちゃんと硝煙の匂いとかする。
聡太はやはり落ち着いていて、いつの間にか姿勢を正し、状況を把握しようと周囲を見渡し、財布をベリベリしていた。
ゆっくりと襖が開いた。
煙の中から現れた人物を視線に捉えた聡太は尻餅をつき、動揺を隠せず、震える声でその人物の名を口にした。
ジェイソンステイサムさん、、、!
そこでようやく私も顔を上げる。潮目を読む漁師のように深刻な眼差しのジェイソンステイサムが、銃を構えていた。
私と聡太が状況を掴めず唖然としていると、ステイサムはいきなり将棋盤を蹴り上げた。タクシーのミニカーや「非力」と書かれた駒が舞う。怯んだ聡太の背後に瞬時に周り混むと、その首に手刀をあてがった。聡太は「あ」という口のまま、糸の切れた操り人形のように、畳の上に顔から倒れ落ちた。
そしてゆっくりと私を見ると、ステイサムは
惚れ惚れするような重厚な声でこう言った。
「どうなるかわからないことを、あれこれ心配してもしょうがない」
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自分ではどうしようもない窮状に直面したとき、私は度々こういった妄想をしてしまう。
「どうなるかわからないことを、あれこれ心配してもしょうがない」。
映画トランスポーター2で、注射を怖がる子供に主人公がかけた言葉だ。運び屋として、与えられたミッションを淡々とこなしていく主人公がふと見せた人間味と、無責任なようで、確かに、と背中を押してくれる底抜けに開放的な言葉だったので、何となく覚えていた。それを今余計な脚色と共に思い出した。ありがとうステイサム。聡太。これからも応援してるよ。
私の中から、沸々と熱い感情がが芽生えて来るのを感じた。
この世で一番恐るるべきは何か。霊的なものや、不治の病だろうか。
私は「やけっぱちになった人間」だと思う。失うものの無い、無職や独身の人間はしばしば、負の方向へと道を踏み外しがちであるが、私は違う。
段ボールに手を回し、再び力を込める。
やはり五、六歩で腕力に限界が来てしまうが、進んでいないというわけではない。ゆっくりでも良い。休みながらでも良い。少しずつ、その歩みを進めれば良いのだ。
「歩ける、行こう」
威風堂々、品行方正、質実剛健、質素倹約。
正真正銘の節約王の再来である。
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意を決して歩み始めてしばらく。
人々の「業者?」みたいな視線に耐えつつ、私は道のりの四分の一ほどを進んでいた。二月の寒風を意に介さず、しっとりと汗ばんでいた。背中の汗がシャツに張り付いた。このままでは身体が冷めてしまう。もし風邪でも引いてしまえば、冷えピタにポカリ、みかんのゼリーにたまご粥、、、節約王国の瓦解は免れない。
一刻も早く持ち帰るため、道中様々な運搬方法を試みた。オーソドックスな抱きしめ型に、彼岸島の丸太型。どれも暴威的な重量にすぐに腕が悲鳴をあげた。
そんな中、苦し紛れに試してみた運搬方法が思いがけず功を奏した。「それ鼓膜やられちゃうだろ型」である。
この人だれ?
まず段ボールを垂直に立たせ、そのすぐ横に膝立ちする。あとは肩を支点に、テコの原理を応用して潜り込むように立ち上がるのだ。その際腰と太ももに奨学金の返済と同レベルの負担が掛かるが、それさえ乗り越えれば、なんと優に二〜三分は歩けてしまう。
これは教科書に載る。2018年、運搬革命。
通行人に細心の注意を払い、「仙台にピラミッド作るの?」みたいな視線に耐えつつ何度も鼓膜やられちゃうだろ型を繰り返した。
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その結果私は、腰やられちゃうだろ型になっていた。鼓膜やられちゃうだろ型が及ぼす腰への負担を舐めていた。
そういえば私は小学生の頃、当時流行ったレイザーラモンHGの真似をして、1日の大半を腰を振りながら奇声を発して過ごしていたところ、「腰椎分離すべり症」という恐ろしい名前の病を患ったことがあるくらいには腰が弱い。決してすべってなどない。
自宅まで残り半分くらいのところで、私はユニットシェルフを前方に縦置きし、そのもたれ掛かる重量を感じながら本日二度目の詰みを感じた。女子大生風にいえば「詰みみ」だった。
仙台ロフトを出てから、すでに1時間以上経過していた。橙色の街灯が、私とユニットシェルフと影を長く伸ばしていた。二月の風は身を切るように冷たい。
「〜ぉの、、、ンが、、、」
風が街路樹の枝を切る音に紛れて、男性の野太い叫び声がうっすらと聞こえて来た気がした。
どこかで聞いたことのあるような、懐かしい声。責めるような、励ますような、それでいて温かい声、、、。この声は、、、
「こぉのバカチンが〜」
きっ、金八先生〜!!?
姿は見えなかったが、確実に金八先生だった。
「いいですかバカチン。ぇ人という字は、一般的に人と人とが支え合う〜云々みたいな解釈が進んでいますが、それは違います。バカチンです。いいですか。いいですか。」
「人」という字は、あなたとユニットシェルフが支え合う姿から生まれたのです」
「なるほど〜」
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大変危険な妄想をしてしまった。
現実逃避のつもりが、帰ってこれなくなるところだった。一命を取り留めた。ちなみに、耳聡い宮城県民の皆さんならご存知だろうが、我らがさとう宗幸主演で「2年B組仙八先生」という学園ドラマがあるので、そちらも知っておくと金八トークの時にマウントを取れるだろう。
さておき、残り半分どうするか。
このまま腰への負担を省みず強行すれば、私の腰は永遠に沈黙してしまうだろうし、腕も限界に近い。引き摺って行っても消しゴムのように磨耗し自宅に着く頃には半分になっているだろう。
一度冷え切った身体を温めるべく、特段良い気分では無かったが、すぐそばにあったセブンイレブンへと避難することにした。
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駐車場でタバコの煙を燻らせている、初老のタクシーの運転手が居た。夜に溶けていく煙をぼんやりと眺めているようだった。
随分と様になる吸い方をする人だな、と思っていたら目が合い、少し訝しげな視線を向けられた。これが妄想であればジェイソンステイサムでも乱入させておけば一件落着なのだが、現実の出来事なのでどうしようもない。少し居心地が悪くなったので、いそいそとコンビニを後にすることにした。
「それ運んでんのかい」
苦肉の策で、足の甲に段ボールを載せてペンギン並みの歩幅でよちよち進む私を見兼ねてか、運転手が声をかけて来た。
「ええ、まあ、そうですね」
「やっぱり。さっきその段ボール引き摺ってたよね。ちらっと見えたよ」
何だと、恥ずかしい殺してくれステイサム。
「乗ってくかい」
「多分無理です。さっき他のタクシーにお願いしようとしたんですけど、後部座席もトランクもダメでした。お気持ちは嬉しいんですが」
「そうなの?まあ、ちょっとやってみようよ」
運転手は、そう言うと駐車していたタクシーに私を誘導した。「多分普通に載せようとしても無理だからね」と、助手席をぱたりと折り畳むと、助手席に差し込むように段ボールを差し込んだ。なるほど、先刻のタクシーはここまではやらなかった。
が、少しだけはみ出る。
「ああ、やっぱり無理そうですね」
何となく丸く収まりそうな流れだっただけに、私も落胆の色を隠せなかった。
「いや、多分これ行けるな。ちょっと、反対側から上に少し持ち上げてくれる」
言われた通りに私は車内に入り、持ち上げたり、角度を変えたりと試行錯誤した。
「ジャッッ」
腹から出た運転手の声と共に、勢いよくドアが閉まる。静寂。
「収まった」
収納するための家具を、やっとの思いで収納できた。確実に諸々と本末転倒だが、あの瞬間の喜びと言ったらもう、そのまま仙台市街地をパレードしたい気持ちだった。ありがとう無印良品。ありがとう運転手殿。ありがとう、応援してくれたファンの諸君。
どの物語を見ても、邪智暴虐な王は必ず除かれると決まっているものだ。
無印良品を出て1時間半、かくして遂に、節約王は、死んだ。
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私が1時間かけて歩いた距離を、何倍も早く、タクシーは進んでいく。タクシーとは何と素晴らしい選択肢なんだろう。駄洒落ではない。無くても良いとか成金の乗り物ななんて言ってごめんなさい。むしゃくしゃして言った。
こんなに他人に感謝したのも久し振りのことである。仕事とは言え、鼻息荒く巨大な段ボールを引き摺っていた青年に声をかけるとは、次回の紅綬褒章はこの運転手殿に授与すべきだろう。それが無理なら、せめて気持ちは言葉にして伝えるべきだ。
汗を拭いながら何度も、助かりました、ありがとうございますと私は言った。
「いえいえ、全然。それより寒かったでしょう、今ヒーター点けますね」
「結構です」
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意固地になって節約王などのたまっていたが、意味不明だし、最終的にこうして乗るのであれば、はなから自宅に届けて貰えばよかった。
見慣れた街並みを目の端で追いながら、私は自分の愚かさを、夜に紛れて密かに恥じる。
「いいの、千円貰って。ワンメーターだよ」
「いいんです。載せるの頑張って貰っちゃったし」
節約王は死んだのだ。
タクシーを見送るのも本日二度目である。
何となく、見えなくなるまで見ていたい気持ちだった。
信号を曲がる直前、タクシーのハザードランプが二回点滅した。ア・イ・シ・テ・ルのサインではないだろう。
私はもう一度礼をした。
バイ・バイ。
一連の流れを通して見れば、人々から冷たい視線を浴びたり、ひどい筋肉痛が予想されたり、金八が現れたり、なかなか豪快な判断ミスだっただろう。しかしながら私は、思わずにはいられない。
失敗で得られる経験値の尊さよ。
案外本当に人という字の成り立ちとは私がモチーフなのでは?と思えるような出会いだった。妄想にも活路はあるが、やはり生きた人間との出会いこそ、血の通った経験である。糧となり、ネタとなる。
こうして笑い話に出来る失敗を経ながら、人は厚みを増していく。ユーモアを形にしていく。
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最後に、些細な失敗に凹みがちな御仁に最強の言葉を贈りたい。
上司から叱責された時、ファミレスで迷いに迷って選んだ料理がそうでもなかった時、付き合っていた恋人に8股された時。
眠る前に布団にくるまり、その日の私のように 、靄が晴れた朝ぼらけの湖上のように澄んだ心でこう唱えると良い。
「いい勉強になったな」と。
(うっすらと枕元に現れる影)
「、、、、、、、、」
「この、バカチンが、、、、」
(終)