2023.9 マクロビ批判・桜沢批判 〜桜沢の気持ち悪さ。文章力の欠如と悲劇のヒロイン性〜
桜沢の健康の7大条件「正義」についてであるが、もう読む気にならなかった。理由は、ヒロイックが過ぎる。何と言うのか、押し付けがましく感じたからである。これが、私が感覚する気持ち悪さの正体なんだということがわかった。感覚をそのまま言葉にするならば、文体が気持ち悪い。悲劇のヒロインを気取っているつもりはないのだろうが、そう読めてしまう。文字に乗るエネルギーを、私の身体はそのように感じ取ってしまう。
たとえば、「隣人や万人の中に正義をわかってない者がいたら、“全力を注いで、全てを注いでそいつを愛せ。正義を分からせ、実行しろ。”」という押し付けが、僕は非常に嫌いなのである。
桜沢は確かに、正食・マクロビオティックを作り上げた点で偉大であるが、それ以外の思想や文章力というのは、割と大したことないんじゃないだろうか。正確に言えば、現代において私が生きていたいと感覚する世界観の方向性とは、ベクトルが異なると感じる。
そして、だからこそ、もしもこれ(桜沢とその書き残された思想)を“頂き”として、他のマクロビアンの方々が追従している、ないし「桜沢先生」を崇めているならば、マクロビオティックという領域とその業界全体から、それを構成している人々から「気持ち悪さ」、「カルトみ」、「押し付け」のようなものを私は感じ取ってしまうのだろう。そして、マクロビオティックを知識と体で経験したことのある私にとってそうであるならば、マクロビに全く触れたことがない方々に対して、この気持ち悪さが醸し出されていてもしょうがないんじゃないだろうか。
なので、マクロビの体系を作り上げたこと、世界の見方、宇宙の秩序という学問を追求した点や、それらを食事の技法に落とした点は、桜沢に大いに敬意を表する。しかし、同時にそれ以外の部分は、私の主観からは疑問符が付くことが多い。特に、書き物に関しては。
これが、なんか僕は今まで桜沢の著書に気が向かなかった理由なんじゃないかと推察する。