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手塚治虫作品手塚 MWとネオ・ファウストの共通点~読書記録162~
手塚治虫先生の作品は時代が変わっても読む価値がある。
と思うのは私だけだろうか?
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こちらは1970年代に描かれたMW
あらすじは、こちらを読んでいただければいいとして。
あの時代によくこんな作品を出せたなと思ってしまう。
登場する人物が悪人揃いなのはいいとして、神父にしろ、女性の新聞記者にしろ同性愛者なのだ。
今でこそ、社会的にも、又、教会内でも同性愛を認める動きがあるが、当時は違ったろう。
しかしながら、私は大事な脇役の神父がどうにも苦手だ。
綺麗ごとを抜かすな!と思ってしまうのだ。
「 悪魔も神様も同じものなんじゃないかしら?」
ヒロイン澄子のセリフだ。
これこそが、この作品のテーマのような気がする。
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こちらは、1988年に描かれたネオ・ファウスト。
舞台は学生運動真っ盛りの東京だ。
どちらを通してもわかるのは
「人間は醜い」という事だ。
手塚治虫先生は、「ブッダ」を描いている時に、主人公の敬虔さにペンを投げ出したくなったとエッセイで言われていた。
わかる気がする。ブッダとは悟りを得た人。本来の人間は欲深い。
そして、2つの作品共に思ったのが、手塚治虫先生の世代はドストエフスキーが好きなんだなと思うのだった。
ファウストは、ドイツのゲーテの作品であるが、ネオ・ファウストに出て来るヒロインは、ドストエフスキーの罪と罰に出て来るソーニャのようなのだ。
そして、ネオ・ファウストは、罪と罰を意識してはいまいか?とも思ったのだった。
さてさて、上にあげた2つのページに出て来るカトリック教会なのだが。
物語の中では、東京の司教区になっているのだが、関口教会は1964年に今の丹下健三のデザインである。教会らしくはない。。。
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そこで、色々と検索していたのだが。手塚治虫先生の育った兵庫県の方にモデルとなった建物があったのではないだろうか?
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漫画の建物と似ている気がするのだが・・・
という事で、手塚治虫先生の作品は奥が深い。
その中にあって、毎回、脇役で登場するヒゲオヤジにはホッとするのだった。