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お下の神さま 目黒区 天台宗瑞龍山能仁寺安養院 私の百寺巡礼206
目黒不動尊のすぐ近くにある天台宗安養院。
こちらは建築家・安藤忠雄が設計した「ひかりの園」という納骨堂で有名である。というよりも、ネットでの検索では殆どがそちらだ。
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当初は目黒不動龍泉寺の子院四カ寺の一つとして開かれた寺であるが、開創の時期、開基開山等は不明である。
一時荒廃していたが、これを承応元年(1654)木食唱岳長音が再興した。木食唱岳長音は養玉院如来寺の五智如来等の造像を行った木食但唱の弟子で五智如来の造像にも唱岳長音が協力しているといわれる。唱岳長音は師但唱の死後、天海僧正のすすめで当寺を再興し、当寺で阿弥陀如来坐像や丈六の釈迦涅槃像を彫刻した。釈迦涅槃像の造像を待たずに唱岳長音は、当寺を弟子空誉に譲って羽後の秋田に去っており、ここで秋田藩主佐竹義隆の庇護を得て、ここで一寺を草創している。そして延宝6年(1678)8月16日秋田で示寂している。その生涯に数多くの仏像を彫刻している異色のある僧侶である。
当寺はその後唱岳長音等の刻んだ釈迦涅槃像を本尊としたため、俗に寝釈迦寺と呼ばれて世人の信仰を得て近代に至った。この像は戦災で首のみを残して焼失したが近年再造され本堂に安置されている。(「品川区の文化財」より)
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蝋梅の花に誘われ中にと入る。
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多くの石仏がある。
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殆どの方は納骨堂に用事で来られているだろうし、目黒不動尊の前だしと、伽藍だけ拝観させていただき失礼しようと思っていた。
すると、若い僧侶に声をかけられ、観音堂を開けていただき、お話しを伺うことになった。
ここに祀られているのは如意輪観音さま。
そして、烏瑟沙摩明王(うすさまみょうおう)様だ。
烏瑟沙摩明王(うすさまみょうおう)様は、お下(しも)の神さまと呼ばれているらしい。
こちらの僧侶の説明では、ピンピンコロリ、亡くなるまで自分でトイレが出来るように。それには足腰も丈夫に。と。
おおおおお!なんと身に染みることよ。
現在の日本は確かに長寿国となった。だが、ただ長生きすればいいものでもないだろう、と思う私だ。
要介護にはならず、自分の事が出来るように。と祈願するのであった。
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蝋梅や ピンピンコロリ 祈願せし
天台宗瑞龍山能仁寺安養院
品川区西五反田4-12-1
東急目蒲線不動前駅より徒歩5分 目黒駅より徒歩15分