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感謝祭~読書記録50~
ローラが以前、新聞に投稿したものの抜粋です。
わたしたちは、ともすれば、今持っているもののありがたさを忘れ、感謝する対象を、何か特別なこと、特別な幸運に求めがちです。
わたしは、感謝祭について書いたある物語を読みました。母親が、小さな息子に、ちょっとそこらを一回りしてきて、何か感謝するものを探しておいで、と言うのです。
でも考えてごらんなさい。その子がそこらを一回りできるだけ健康だということと、そうさせる母親がいるということこそ、感謝するに足る理由になるではありませんか。わたしたちは、精神的にどうも遠眼鏡になりがちで、すぐ身近にあるものを、つい見逃してしまうのです。私たちには手があり足があります。でも、それが万一、なくなったり、使えなくなったりしない限り、手足のあることに感謝する人はいません。普段は手足のあることが当たり前と思っていますが、わたしは一年間、足が不自由だったことがあり、そのおかげで、足のあることのありがたみがよくわかり、今では、二本の足は、わたしの最も大切な持ち物となりました。だって、そうでしょう!たとえ、誰かが大きな財産を残してくれたとしても、五感の一つも欠ける事がない方が、ずっとありがたいではありませんか。まったく、どの一つをとってみても、その価値は計りしれません。五感が正常に動いているならば、感謝すべき人に感謝するために、感謝するものを探しに行くなどということは、不要なのです。
何はなくとも、とにかく、「生きているのを喜ぼう」ではありませんか。
ああ、神様、ありがとうございます。
(訳者は私の大好きな谷口由美子先生。翻訳が読みやすいのだ。)
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姉は感染病で失明し、夫はジフテリアで足に麻痺が残り、ずっと杖が必要となった。その人たちを助けたローラの言葉には重みがある。
19世紀の開拓時代ではなく、現代の文明、医学が発達している現代の私たちこそ、日々の感謝がないのだなと思った。
冬、室内での寒さを知らないし、車ですぐに移動できる。簡単に食べ物、着る物が手に入るのが当たり前になっている。。。
だから、ちょっとの事に文句を言うのは辞めようと思うのだ。