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なぜ日本人はご先祖様に祈るのか ~読書記録302~
なぜ日本人はご先祖様に祈るのか ドイツ人禅僧が見たフシギな死生観 は、2015年、ドイツ人曹洞宗僧侶ネルケ無方によって書かれた。
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日本人の死に対する考えは不思議だ。生と死を厳密に分けず、つながっている感覚を持ち、死者への親近感や依存度が高い。その一方で「死は穢れ」という概念があり、葬儀後の「清め塩」や数字の「4」を避ける習慣がある。また、戦時中の神風特攻隊は、武士道が謳う死の美学を身をもって貫き敵国を驚かせた。元キリスト教徒のドイツ人禅僧が、日本と欧米社会を中心に比較しながら、曖昧な日本人の死生観と理想の死について考察する。
日本人の僧侶、お寺関係の人間なら「当たり前」とすることをそうしない。
何故なら、ネルケ無方僧侶は、ドイツ生まれの元キリスト教徒であるから。
家がお寺だから僧侶になった。葬儀やらお寺の慣習など当たり前。この感覚でいるお寺関係者によく出会う。
ある意味、幸せなのかもしれないが。
何故、既に成仏しているはずの先祖の法要を行うのか?浄土真宗の場合、そこは割り切っており、プロテスタント教会と似ているようだ。
題名は、なぜご先祖様に祈るのか。のようなものであるが、
「人は何故生きるのか」
結局は、それがテーマなのだと思う。
人は必ず老いる、死ぬ。抵抗せずに受け入れて、今日を生きる。
それをしたいと思うのだった。