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赤とんぼ: 1945年、桂子の日記~読書記録439~

赤とんぼ: 1945年、桂子の日記 レイコ・クルック

私がこの本を知ったのは、尊敬する立花隆先生の著書からだ。先生のお勧め本の1冊にあげられていた。
作者自身、あとがきで立花隆先生への感謝も書かれている。
立花隆先生も長崎の出身である。

2013年に書かれた作品。挿絵も著者が描かれている。実体験を交えながらの小説である。

戦時中の日本の空軍戦闘機と言えば、零戦を思い浮かべるが、赤とんぼは、乗員養成所での練習用に使われていたらしい。

西岡麗子。1935年長崎県諌早市に生まれる。1955年NBCラジオ長崎に入社。1958年テレビ開局と同時にNBC長崎放送CM室に移籍しコマーシャル制作に携わる。その後M.クルックと結婚、1971年にパリ市に移住する。フランスの大手化粧品会社の商品企画開発アドバイザーを務めながら、映画、演劇界のライセンスを取得する。パリにアトリエ“METAMORPHOSEメタモルフォーズ”を立ちあげ、当時未開発だった「特殊メーキャップ」の分野を独自に開発、パイオニアとよばれる。



この本が書かれたのは2013年。解説をしてくださった大田大穣禅師は、当時は、まだ曹洞宗永平寺の顧問として活躍しておられた。
2017年に故人となる。

当時私は、たとえば天皇陛下のために特攻に行くのだ、という表向きの様子しか知らなかったわけです。きれいごとといってはなんですが、「行ってらっしゃい」「それ行くぞ」というような、自分が行くとなってもそういう気持ちでした。ところがいよいよ自分の死を覚悟しての真の姿が、あの慟哭にあります。あの場面に出てくるのは人間らしい姿ですよね。いざ命を失うとなると、あんな気持ちになることがあったのかということが、自分は実感できませんでしたから、そうした意味で「うらやましい」と申しました。
(本書・大田大穣禅師解説より)

大田大穣禅師は当時は、長崎県にある航空機乗員養成所に小学校卒の12歳で入られた。解説で語っておられたが、今から特攻隊として戦地に向かう兵士の慟哭の事実などをこの作者の体験から知ったようだ。
当時は、「お国のために」「天皇陛下の為に」と、そんな空気が強かったのだろうと思う。
この本にも出て来るが、当時、長崎市で原爆が落とされた時に、市内のみでなく、諫早にも影響があった。原爆が落とされた時に、諫早でその光を見た人が多かったのだ。
17歳の大田大穣禅師もその1人だ。後に永平寺の重要な役職に就くが、運動を続けている。

この本に出てきた主人公の2歳年下の従妹は長崎市の爆心地・浦上に近い所で被爆した。姉と母をその時に亡くし、父と2人、諫早の親戚を頼るが、怪我もしていなかった父が、何故か黒い斑点が身体中に現れ、入院後まもなく亡くなってしまったのだ。
従妹は、髪の毛がごっそり抜けるという悲劇にもあう。
レイコさんのあとがきによると、事実であるらしい。執筆当時、闘病中であったようだ。癌との長い闘いである。


終戦から80年近く経とうとしている。大田大穣禅師もであるが、戦争体験者は少なくなっている。
著者の「どうしても書き残したい」という強い想いを感じる1冊であった。


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