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広い浄土庭園 岩手県平泉 天台宗別格本山医王山毛越寺 私の百寺巡礼139
平泉駅から徒歩数分。そこにあるのは広い夢の跡。
毛越寺は慈覚大師円仁が開山し、藤原氏二代基衡(もとひら)から三代秀衡(ひでひら)の時代に多くの伽藍が造営されました。往時には堂塔40僧坊500を数え、中尊寺をしのぐほどの規模と華麗さであったといわれています。奥州藤原氏滅亡後、度重なる災禍に遭いすべての建物が焼失したが、現在大泉が池を中心とする浄土庭園と平安時代の伽藍遺構がほぼ完全な状態で保存されており、国の特別史跡・特別名勝の二重の指定を受けています。平成元年、平安様式の新本堂が建立されました。
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門で見かけた若い男性の話だ。
車椅子高齢女性を車から降ろした若い介護士さんが
「着きましたよー。もうえつじですよー」と。
うむ。確かに、「もうえつじ」と読んでも仕方ないだろうなと思う。
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こんな大きな蓮を見たのは初めてだ。
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その広大な敷地に広がる深い緑色。各所に「○○跡」と書かれた案内板が出ている。そこからはかつての奥州藤原氏の栄華を想うのであった。
申し訳ないのだが、藤原氏の栄華を予習せずに行くと、「何、ここ?」と思うだけだと思う。私も予備知識なしに歩く途中で無量光院を見た時に、「何、ここ?」と思った。
これだけの広大な土地に浄土庭園を作ったのが奥州藤原氏の凄さなのだ。
と、ここで又、五木寛之先生の本から抜粋したい。
平泉には、中尊寺と一対のようにして語られるもう一つの寺がある。
「毛越寺」と書いて「もうつうじ」。字を見ただけでは、なかなかこうは読めない。しかし、中尊寺ほど有名ではないが、毛越寺も奥州藤原氏によって建立された寺だ。
中尊寺には今も立派な伽藍や僧坊がある。それに比べて、毛越寺の境内には殆ど建物が存在しない。ただ、わずかに残る伽藍の跡や礎石などの遺構が、かつては壮麗な大寺だった毛越寺の姿を物語っているのみだ。
今、平泉を代表する寺と言えば、間違いなく中尊寺だろう。ところが、「吾妻鏡」によれば、毛越寺は中尊寺をしのぐ「堂塔四十余宇、禅房五百余宇」という規模だったという。これは、ちょっと想像しただけですごい。
毛越寺は「浄土庭園」と呼ばれる様式の庭園で知られている。しかも日本で最も完全で、典型的な平安時代の浄土庭園遺構だそうだ。
末法思想が広まった時代、人々は、阿弥陀如来に一心に祈る事で、死後に西の彼方にある極楽浄土に行くことができると信じた。その極楽浄土を目に見える形に表現しようとしたのが浄土庭園といえるだろう。
日が沈む西方には阿弥陀堂が作られ、阿弥陀如来像が安置される。その阿弥陀堂の前には大きな池が設けられ、そこには蓮の花が咲いている。
浄土庭園の池は、神聖な地を属性から区分するものと考えられていた。つまり、阿弥陀如来がいらっしゃる池の西側が彼岸(あの世)で、東側が此岸(この世)というわけだ。
浄土庭園として最も有名なのは宇治の平等院だが、毛越寺の庭園の規模はそれをはるかに上回っていた。もし庭園だけでなく、創建当時の毛越寺の伽藍の一部が現存していたら、どれほど素晴らしかったろうか。
残念ながら、毛越寺は藤原氏の滅亡後に焼け、以後は長い事放置されて、復興されることがなかった。藤原氏の約100年の王国が滅亡するのと歩調を合わせるようにして、毛越寺も全盛期の輝きを失っていった。
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平泉駅から7、8分歩くと、毛越寺の山門が見えてくる。
この山門はちょっと変わった形をしていて、なんとなくお寺の門という漢字がしない。
聞くと、江戸時代にこの一帯を治めていた一関藩田村氏の城門が移築されたものだということだった。一関藩は三万石の小藩だったそうだが、東北随一の雄藩である仙台伊達氏の親戚筋にあたるらしい。
言われてみれば確かに武家風である。その山門の奥の方に本堂が見えた。本堂の建物は平成元年(1989年)に新築されたもので、見るからにあたらしい。
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復元図に寄れば、南大門をくぐると、目の前に大泉が池という大きな池が広がっている。その池の中央に中島という小さな島があり、両岸から橋がかかっている。
その橋を渡って行くと、当初は対岸に巨大な金堂がそびえていた。左側には嘉祥寺と講堂があり、お堂の左右には回廊があった。右手には法華堂と常行堂。その後ろには弁天池、そして東大門などがあったようだ。
この金堂は「円隆寺」とも書かれている。境内には円隆寺や嘉祥寺という個別の寺が幾つかあり、毛越寺というのは一山の総称だったらしい。
毛越寺の金堂である円隆寺については、「金銀を鏤め(ちりばめ)、紫檀・赤木等を継ぎ、万宝を尽くし、衆色を交う」という記述が「吾妻鏡」にある。
金銀をちりばめた、華麗な建物が青空の中にそびえ、同時に境内の池の水面にも映っている様子は、まさに浄土を思わせたことだろう。
毛越寺の開山は、山寺(立石寺)、中尊寺、瑞巌寺と同じで、慈覚大師円仁とされている。
東北全体では、百数十もの寺が「円仁開山」だと言われている。だが、実際には、円仁が短期間のうちに1人でそれだけのことをするのは困難だろう。
そう思っていたときに、「勧請開山」という考え方があることを教えられた。
勧請とは、神仏や高僧などをある場所に招いて祀ることだ。よそから丁重にお迎えして、その場所に祀るのである。
円仁を開山とする寺が東北にこれほど多い理由は、勧請開山だとかんがえればわかりやすい。東北の人びとは円仁への尊崇の念が非常に深かった。そのため多くの寺が、円仁の精神や信仰を受け継ぎたいという気持ちで。円仁の勧請開山という形にした。おそらく、そういったことだったのだろう。
中尊寺が山の寺、つまり山上伽藍の形式だったのとは対照的に、毛越寺は平地の寺であり、都で当時流行していた臨地伽藍形式をとって、池に面している。また、藤原氏の菩提寺的な寺だった中尊寺に対して、毛越寺は公的な場所としての性格を持っていたと言われている。ある意味では、中尊寺が「信仰の中心」であり、毛越寺は「文化の中心」だったのではあるまいか。
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天台宗別格本山医王山毛越寺
岩手県西磐井郡平泉町平泉字大沢58
東北本線平泉駅より徒歩7分