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私の百寺巡礼

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五木寛之先生は70歳を過ぎてから百寺巡礼をされた。日本の寺院の多くは車が入れない険しい石段を登る事で辿り着く。横浜辺りの寺も、ちょっとした坂の上で、わざと車が入れないようにしてあ…
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#秩父札所

同行二人

同行二人

同行二人
読み方:どうぎょうににん

お遍路などの巡礼、霊場巡りにおいて、常に自分には弘法大師がついていてくれる、弘法大師が共にいてくれるという意味で書きつける語。

一方、キリスト教の世界においても、似たような有名な話がある。

キリスト教会において親しまれてきた「あしあと(フットプリント)」という詩があります。今日は、この詩と、この詩についての伝えられているエピソードを紹介します。

あしあと

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紅に染まった葉に赤いお堂 秩父札所1番 曹洞宗誦経(ずきょう)山四萬部寺 私の百寺巡礼298

紅に染まった葉に赤いお堂 秩父札所1番 曹洞宗誦経(ずきょう)山四萬部寺 私の百寺巡礼298

四萬部寺の名は、性空上人の弟子幻通が四万部の仏典を読経して経塚を築いた、と伝えられる事に由来する。

秩父札所は34番まである。私もそうだが、西武秩父駅から一番近い便利な13番からという人が多いようだ。
だが、中にはきちんと1番から廻る方もおられるかと思う。
私の場合、やっと1番に来られたの感が強い。
何しろ、1週間前に横瀬駅から歩いて5番から1番まで行くつもりが3番で帰ってしまったのだ。

この

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行くことに意味があり! 秩父札所2番 曹洞宗大棚山真福寺 私の百寺巡礼297

行くことに意味があり! 秩父札所2番 曹洞宗大棚山真福寺 私の百寺巡礼297

大棚山(おおたなさん) 真福寺は、9世紀頃、大棚(たいほう)禅師によって開基されたと伝えられています。そのため、真福寺周辺には、大棚禅師の名前を冠した「大棚山」や「大棚川」といった地名の名残があります。

伝説によると、大棚禅師は、嫉妬の悪念にかられて鬼になってしまったことを苦しみ懺悔する老婆をあわれみ、供養のためにお堂を建て、聖観世音菩薩を安置しました。このことがこの真福寺のはじまりとされていま

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崖に並ぶ石仏 秩父札所3番 曹洞宗岩本山常泉寺 私の百寺巡礼296

崖に並ぶ石仏 秩父札所3番 曹洞宗岩本山常泉寺 私の百寺巡礼296

秩父札所3番・常泉寺は、1234年(文暦元年)3月18日、覚了和尚の開山と伝わり、当初は高篠山の中腹の岩窟に所在したと推定されている。その後、当地の名主堀内、家が現在地に建立し札所を移したと伝わっている。1847年(弘化4年)の火災で本堂が焼失したが、1858年(安政5年)に再建されている。また、本堂左手の観音堂は、1870年(明治3年)に秩父神社境内にあった蔵福寺の薬師堂を移築したものであり、宝

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存在感溢れるお堂 秩父札所5番 臨済宗南禅寺派小川山語歌堂 私の百寺巡礼295

存在感溢れるお堂 秩父札所5番 臨済宗南禅寺派小川山語歌堂 私の百寺巡礼295

秩父札所5番の語歌堂は、無人でお堂だけだ。
案内及び、御朱印は道路を挟んですぐの長興寺さんで頂く。

長興寺さんから観る語歌堂。色づいた山とのコントラストが良い。

横瀬駅から歩く事、20分ほど。突然、目の前に現れたのは異世界の感覚のお堂であった。
畑と山だけの地にーー!という感じであった。
仁王門に圧倒される。

そして、既視感?

17番の龍石寺にお堂の形が似ているのだ。

名前を語歌堂と言う

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赤が似あう石仏の寺 秩父札所4番 曹洞宗高谷山金昌寺 私の百寺巡礼294

赤が似あう石仏の寺 秩父札所4番 曹洞宗高谷山金昌寺 私の百寺巡礼294

秩父札所4番は、県指定民俗資料石仏群のある寺として知られ、本堂は、三間四面、様式は唐風の江戸中期の建築である。本尊は、十一面観世音立像で、像高107センチメートル、室町時代、行基菩薩の作といわれている。大きな草鞋(わらじ)がかかった、朱塗りの山門をくぐると、境内の斜面は1300体余りの石仏で埋め尽くされている。

迎えるは大きな草鞋だ。先日、福島市内で大きな草鞋の健脚祈願の神社に参拝したばかりでも

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SL撮り鉄スポットの聖地 秩父札所27番 曹洞宗龍河山大渕寺 私の百寺巡礼253

SL撮り鉄スポットの聖地 秩父札所27番 曹洞宗龍河山大渕寺 私の百寺巡礼253

大渕寺の観音堂は、明治・大正と二度にわたる大火災で観音堂を全て焼失した。その後、本堂と観音堂を兼ねた仮堂として再建されていたが、平成8年(1996年)裏山を切り開き、三間四面の「月影堂(観音堂)」が再建された。本尊は「聖観世音菩薩」で、微笑んでいるようにみえる聖観音像である。昔、「宝明(ほうめい)」という名の行脚僧が、この影森の地で病に倒れた。そこへ訪れた弘法大師は、宝明からの病の話を聞くと、聖観

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山深き地の古刹 秩父札所30番 臨済宗建長寺派瑞龍山法雲寺 私の百寺巡礼252

山深き地の古刹 秩父札所30番 臨済宗建長寺派瑞龍山法雲寺 私の百寺巡礼252

瑞龍山「法雲寺」は、臨済宗建長寺派の寺院で、開創は13世紀中頃の鎌倉時代である。本尊は「如意輪観世音菩薩」で木の坐像、像高約40センチメートル、唐の第9代帝王「玄宗(げんそう)」の作と言われている。皇帝が戦場にあって楊貴妃の冥福を祈り、観音の御心にすがる真情がうかがえて、美しく尊厳に満ちたものである。観音堂は六間四面、唐様の方形造り、過去帳に元和(げんな)元年(1615年)の建立とされている。この

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立派な木彫りに惚れ惚れ 秩父札所18番 曹洞宗白道山神門寺 私の百寺巡礼242

立派な木彫りに惚れ惚れ 秩父札所18番 曹洞宗白道山神門寺 私の百寺巡礼242

柴又帝釈天参拝依頼、すっかりお堂や神社の木彫りマニアになってしまった私だ。
そんな木彫り愛好家の私にピッタリなのが、ここ神門寺だ。

この寺はもと修験寺で「神戸山・長生院」といい今宮坊(現在の第14番札所)に属して栄えたといわれている。本尊は、1㍍を超える「聖観世音菩薩」で、両手に蓮の花を持ち、室町時代の作と伝えられている。昔、ここは神社で大きい「榊(さかき)」があり、その枝が左右に分かれて空に伸

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秩父橋の上の観音堂と花々 秩父札所20番 臨済宗南禅寺派法王山岩之上堂 私の百寺巡礼241

秩父橋の上の観音堂と花々 秩父札所20番 臨済宗南禅寺派法王山岩之上堂 私の百寺巡礼241

西武秩父駅から小鹿野町に向かうバス路線沿いに入口がある。
ここ、岩之上堂。行く前から不思議だなと思っていたのが、〇〇寺という呼称ではないことだ。

岩之上堂は、その名のとおり荒川河岸の崖上にある。「観音堂」は三間四面方形造りで流れ向拝を付けている。本尊の「聖観世音菩薩」は、平安時代の作と伝えられ、優美で穏やかな姿をしている。現在の観音堂は江戸中期の造営と思われるが、元禄年間に内陣の補修、宝永年間に

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牛伏堂に平賀源内に 秩父札所7番 曹洞宗青苔山法長寺 私の百寺巡礼182

牛伏堂に平賀源内に 秩父札所7番 曹洞宗青苔山法長寺 私の百寺巡礼182

横瀬の民家の間をぬけ山門にいたる。
門をくぐると正面に平賀源内の設計といわれる堂々とした本堂が建っている。 天明二年(1782)の火災で観音堂が消失したため、本堂の奥に本尊の十一面観音が安置されている。
牛伏堂といわれるのは諸説あるが、一説には牛が伏して動かなくなり、去った後から十一面観音像があらわれたことに由来する、ともいわれている。
由来には諸説あるが、中でも注目すべきものとして、平将門に

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願い地蔵にお祈りを 秩父札所6番 曹洞宗向陽山卜雲寺 私の百寺巡礼181

願い地蔵にお祈りを 秩父札所6番 曹洞宗向陽山卜雲寺 私の百寺巡礼181

まず、こちらのお寺に行くのに、え?え?と迷ってしまった。

札所6番はこちらの案内が出ているのだが、え?小松沢レジャー農園内じゃないの?いいのか?と悩んでしまったのだ。

農園の方に道を聞くと、農園の小道を入って行くと近いようだ。

ありました!!

第6番 向陽山 卜雲寺(こうようさん ぼくうんじ)は、江戸時代初期、嶋田与左衛門によって開創されたとされています。
卜雲寺というお寺の名前は、その嶋

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古木コミネカエデに見惚れる 秩父札所8番 臨済宗南禅寺派清泰山西善寺 私の百寺巡礼180

古木コミネカエデに見惚れる 秩父札所8番 臨済宗南禅寺派清泰山西善寺 私の百寺巡礼180

庭のどこにいても、そのカエデの存在がある。こちらの寺はそんな印象であった。

駐車場からは武甲山が綺麗に観える。

「地獄」「餓鬼」「畜生」「修羅」「人間」「天」の六道を行脚する地蔵尊の姿を、それぞれ六体の尊像にあらわしたものがこの「六地蔵尊」である。