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私の百寺巡礼

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五木寛之先生は70歳を過ぎてから百寺巡礼をされた。日本の寺院の多くは車が入れない険しい石段を登る事で辿り着く。横浜辺りの寺も、ちょっとした坂の上で、わざと車が入れないようにしてあ…
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#高野山真言宗

同行二人

同行二人

同行二人
読み方:どうぎょうににん

お遍路などの巡礼、霊場巡りにおいて、常に自分には弘法大師がついていてくれる、弘法大師が共にいてくれるという意味で書きつける語。

一方、キリスト教の世界においても、似たような有名な話がある。

キリスト教会において親しまれてきた「あしあと(フットプリント)」という詩があります。今日は、この詩と、この詩についての伝えられているエピソードを紹介します。

あしあと

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青い目の修行僧 伊豆の国市 高野山真言宗天守君山願成就院 私の百寺巡礼219

青い目の修行僧 伊豆の国市 高野山真言宗天守君山願成就院 私の百寺巡礼219

伊豆の国市にある高野山真言宗願成就院は、鎌倉時代の初代執権・北条時政の建立した寺院である。

願成就院は北条時政が建てたと伝えられるお寺です。文治5年(1189)、源頼朝と関東の武士団は、反抗した源義経をかくまった東北平泉の藤原氏を攻めました。この時に北条時政が戦いの勝利を祈って願成就院を建てたといわれています。 鎌倉時代を代表する仏師の運慶が、若い頃の文治2(1186)年に制作した、国宝願成就院

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大師さまを囲む花々 横浜市南区 高野山真言宗福智山不動寺普門院 私の百寺巡礼137

大師さまを囲む花々 横浜市南区 高野山真言宗福智山不動寺普門院 私の百寺巡礼137

その寺はバス通りから外れた人も滅多に通らない場所にあり、存在に気付かないでいた。いや、申し訳ない。
横浜市南区は、高野山真言宗の寺院が多い。中心をなすのは、赤門東福寺であるが、ここ普門院は東福寺から徒歩で僅かの場所にあった。

高野山真言宗寺院の普門院は、福智山不動寺と号します。普門院の創建年代等は不詳ながら、かつては東福寺境内にあったといい、享保年間(1716-1735)に伝栄法印が中興したとい

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東京で味わう高野山 東京都港区 高野山真言宗東京別院 私の百寺巡礼136

東京で味わう高野山 東京都港区 高野山真言宗東京別院 私の百寺巡礼136

高野山真言宗東京別院。名前を聴いた時には大袈裟な。。。と思っていた。
いや、申し訳ない。東京都港区高輪なんて地で、そんなに土地が持てるか!と思ったのであった。

周りは都会的なビルが立ち並ぶ。なんだか浮いているようにも思えてしまう。

昭和2年「高野山東京別院」と改称しました。 住職は、総本山金剛峯寺座主が兼摂し、主監を任命して、東京別院の経営と東京における本山ならびに宗団の教務を処弁していま

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この犬の如き

この犬の如き

ちょうど今から1年前。7/10は、私にある決意をさせた日であった。
大学生の時にキリスト教信者になったものの、己の弱さ、罪故に、多くの教会から追放されてしまった。

もう受け入れてくれる所はないだろうと思いながらも、最後の望みと、京急線の逗子・葉山駅前にある教会へと足を運んだ。
やはり、自分の居場所はここではないとわかった。

そんな事よりも、私は「マリア処女説」を信じられなくなったのだ。イエスが

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狸、タヌキ、たぬき・・横浜市港南区 高野山真言宗関宮山東樹院寂静寺 私の百寺巡礼92

狸、タヌキ、たぬき・・横浜市港南区 高野山真言宗関宮山東樹院寂静寺 私の百寺巡礼92

横浜市南区に次いで、お隣の港南区も真言宗のお寺が多い。
こちらのお寺は、上大岡駅から20分ほど歩いた所、住宅街の中にある。

東樹院は、沙門順玉が大治2年(1127)に創建したと伝えられ、その後衰廃していたものを沙門至順が嘆き、笹下城主間宮豊前守の助力を得て再興したという。金沢三十四ヶ所観音霊場28番、東国八十八ヶ所霊場70番、金沢三十四所観音霊場28番だ。

こちらの猫だろうか。或いは地域猫か。

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猫・猫・猫のお寺 横浜市南区 高野山真言宗引越山定光寺 私の百寺巡礼77

猫・猫・猫のお寺 横浜市南区 高野山真言宗引越山定光寺 私の百寺巡礼77

駅名にもなっている高野山真言宗弘明寺。
京急線弘明寺駅から5分ほど歩くと、やはり、高野山真言宗の寺院がある。

創建年代等は不詳ながら覺清法印が開山したと伝えられている。本尊は阿彌陀如來立像(木彫)であり、惠心作と伝えられている。

横浜市南区六ッ川には、引越坂という場所がある。
こちらのお寺は、「引越山」だが、昔この辺りが引越村と言われていたからだと住職に教えていただいた。

承久の乱の際、戦乱

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隣の杉山神社とリンク 横浜市南区 高野山真言宗松吟山大光寺 私の百寺巡礼76

隣の杉山神社とリンク 横浜市南区 高野山真言宗松吟山大光寺 私の百寺巡礼76

横浜市南太田にある懐かしの杉山神社。息子のお宮参りと七五三のお詣りがそこだった。

そちらを訪れた後に、ふと横の幼稚園を観ると、どうやら高野山真言宗のお寺の付属らしい。
こんな場所にお寺があったのか?と、何年この当たりに住んでるのか?と思うほどに無関心だったようで。こちらの寺院にもお伺いした。

立派な趣のあるお寺だ。

大光寺の創建年代は不詳だが、延宝7年(1679)に大本山高野山桜池院から山号

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源頼朝の息子が創建 横浜市南区 高野山真言宗・南龍山無量寺 私の百寺巡礼73

源頼朝の息子が創建 横浜市南区 高野山真言宗・南龍山無量寺 私の百寺巡礼73

源頼朝の息子が創建したお寺。と聞くと、
「政子の子供???」
と思う人がいるかもしれない。
源頼朝の側室、大進局の生んだ子、源貞暁が創建したのだ。

失礼ながら、横浜市南区蒔田と言えば、今や、「大山ねずの命」という、おかしな新興宗教がかなりの土地を買い占め、幅を利かせている。それは、まるで、奈良県天理市における天理教のようだ。
私は、こういった熱狂的な宗教が怖い。
そんな中にあって、鎌倉時代に創建

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同行二人を知るお寺 横浜市西区 高野山真言宗・法亀山願成寺 私の百寺巡礼72

同行二人を知るお寺 横浜市西区 高野山真言宗・法亀山願成寺 私の百寺巡礼72

ここのお寺は、もう10年以上前から知っている。ただ知っているだけで、それほどは気にもせずにきた。

弱い己に嫌気がさし、結局、家族のいる日曜日は家にいられない、と。
そんな中で辿り着いたのがこのお寺だった。
そして、こちらが真言宗の寺院であることを今更ながら知ったのであった。

夏と冬では趣が違うのも、自然を大切にしている日本の寺社仏閣ならではの素晴らしさだ。

心優しき住職に修行僧にハスキーちゃん 横浜市西区東福寺 私の百寺巡礼70

心優しき住職に修行僧にハスキーちゃん 横浜市西区東福寺 私の百寺巡礼70

実は私は以前はキリスト教会に通っていた。
だが、カトリックにしろプロテスタントにしろ、「共同体」を強調する。

我は聖霊を信ず、聖なる公同の教会、聖徒の交はり、罪の赦し、身体からだのよみがへり、永遠とこしへの生命いのちを信ず。アーメン。

聖なる普遍の教会、聖徒の交わり、罪のゆるし、からだの復活、
永遠のいのちを信じます。アーメン。

聖なる教会での信徒らとの交わり。私にはそれが出来なかった。

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園児を見守る大ケヤキ 横浜市南区 高野山真言宗・東光山蓮花院 私の百寺巡礼69

園児を見守る大ケヤキ 横浜市南区 高野山真言宗・東光山蓮花院 私の百寺巡礼69

横浜市南区、西区は高野山真言宗のお寺が多い。東医山薬王寺とこちらは、歩いてすぐの場所にある。赤門東福寺にも近いし、こちらの蓮華院を登り切った坂の頂上にも高野山真言宗のお寺がある。

この向こうに、お寺の付属幼稚園、れんげ幼稚園がある。
園児を見守る弘法大師様にお地蔵様たち。

境内のケヤキが見事であった。
ここまでの大きさになるには相当な年月がかかる、と住職とも話した。
つまり、私たち日本人は「科

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医と薬 横浜市南区 高野山真言宗・東医山薬王寺 私の百寺巡礼68

医と薬 横浜市南区 高野山真言宗・東医山薬王寺 私の百寺巡礼68

ホトカミの御朱印情報を基に、住所をGoogleマップで確認し、行くと、仕事場からの帰りによく自転車で通るお寺であった。
多分あまり気にしていなかったのだと思う。

こちらは、高野山真言宗のお寺なのだが、ここから徒歩圏には高野山真言宗のお寺がいくつもある。
南区、西区は真言宗のお寺が多いのは、弘明寺が横浜市最古の寺だからかな?と、住職にお聴きしたら、ここのお寺のすぐ近くにある「赤門」と呼ばれている東

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不思議な世界 石川県那谷寺 私の百寺巡礼55

不思議な世界 石川県那谷寺 私の百寺巡礼55

石山の石より白し秋の風 奥の細道 松尾芭蕉

これは那谷寺を参拝された俳聖松尾芭蕉が、巨大な奇岩を前に詠んだ句だ。

こちらが、その句碑になる。

今回は、松尾芭蕉が詠んだ舞台である那谷寺に夢かない(大袈裟かもしれないが、コロナ禍でなかなか旅行も大変なのである)、訪れる事ができ、感謝であった。

その敷地の広さに、日頃、横浜辺りの寺院ばかり行っている人間は驚愕してしまった。

宗派の上では、高野山

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