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かおり
2024年3月23日 02:10
子どもの頃によく遊んだ場所なのにすっかり忘れていた。Googleマップにて、こんな所に寺院があるのか、とそんな存在でいたことを申しわけない!曹洞宗大徳院は、秩父郡小鹿野町にある。秩父氏から分家した奈倉家の菩提寺であり、奈倉山となっている。この辺りの集落も奈倉という。奈倉氏は、畠山重忠の後裔加賀守行家が、この地に来て館を構え、小字の奈倉を氏としたそうで、八幡沢と赤平川の合流地点に有り、赤平川沿
2024年3月18日 18:01
こちらも東急花御朱印巡りの1つだ。観音寺(かんのんじ)は、横浜市港北区篠原町にある真言宗智山派の寺院。山号は八幡山(はちまんざん)。十一面観音菩薩を本尊とし、長く若宮八幡宮(現在の篠原八幡神社)の別当寺を務めた。少なくとも安土桃山時代には創建されていたと推測されている。玉川八十八ヶ所霊場第82番札所、新四国東国八十八ヵ所霊場第24番札所に指定されている。通称:八幡山観音寺。第二次世界大戦中に
2024年3月17日 01:29
一歩足を踏み入れると旧い時代に行ってしまったかのような山の中。王禅寺は、星宿山王禅寺と称し、真言宗豊山派にて、延喜21年(921年)に高野山三世無空上人が開山。関東の高野山と呼ばれていた。周囲には大きな樹木が茂り、この地を愛した北原白秋の歌碑がある。前庭には、樹齢450年と伝えられる禅寺丸柿の原木がある。これは、「柿生」という地名・駅名の由来となったといわれている。平成19年(2007年)に国
2024年3月13日 15:51
伊豆長岡温泉での帰途、雨も降っていたことだし、そのまま寄り道せずに帰宅と思っていたのだが、三嶋大社は三島駅に行く途中、伊豆箱根鉄道の三島田町駅で下車したら近い!と気づき、急遽、なーーんも下調べもせずに行ったもんだから、どこにどんな寺院があるなどわからず。三島田町駅前の地図をチェックし、お寺、神社、有名な和菓子屋さん、などなどをノートに殴り書き。あとは、Googleマップにお任せ!そんな1日となっ
2024年3月11日 15:27
伊豆の国市にある高野山真言宗願成就院は、鎌倉時代の初代執権・北条時政の建立した寺院である。願成就院は北条時政が建てたと伝えられるお寺です。文治5年(1189)、源頼朝と関東の武士団は、反抗した源義経をかくまった東北平泉の藤原氏を攻めました。この時に北条時政が戦いの勝利を祈って願成就院を建てたといわれています。 鎌倉時代を代表する仏師の運慶が、若い頃の文治2(1186)年に制作した、国宝願成就院
2024年3月10日 02:47
伊豆の国市は、源頼朝と北条政子が共に歩き語り合ったという小径があり、そこに沿って幾つか寺院がある。北条家が好きな人には微笑ましいのだろうが、その裏には悲しい事実もある。そんな涙を観る寺院が、こちらの眞珠院であった。鎌倉初期、源頼朝との悲恋に身を割かれ、真珠ヶ淵に入水した伊東祐親の娘「八重姫」をまつる寺。 「せめて我が身を投じて、将来共末長く不幸な女人たちの守護神となりましょう…。」と、那木の
2024年3月8日 09:24
駅で言うと、原駅ではなく片浜駅になる。白隠禅師の里から少し離れた所にある臨済宗寺院だ。臨済宗祥雲寺は1558年建立の歴史あるお寺。 開放感のある境内には座れるところもあります。 祥雲寺は薬師如来と、東司(トイレね)の神様である烏枢沙摩明王(ウスサマミョウオウ)が祀られています。このお掃除をする小僧さんの後ろにあるのがトイレなのだが、こちらにトイレの神さまが祀られている。烏枢沙摩明王(う
2024年3月7日 00:51
臨済宗妙心寺派清梵寺。平安時代の初め頃、安房の国に得萬長者という信心深い人がいた。ある時朝廷から召され京都から帰郷の途中、原宿に立ち寄りそこで長旅の疲れから病気となり、亡くなった。従者は長者の遺言に従い、大きな塚を築いて手厚く葬った。その後長者の妻は出家して梵貞尼と名を改め、原宿の夫の墓に詣でたとき、近くの網元の家で休んでいると、その網元が生前夫が信心していた地蔵尊を網にかけて持ち帰った。梵
2024年3月5日 01:25
静岡県沼津市。そこは臨済宗王国だ。何故か?臨済宗を復興させた白隠禅師の出身地であるからだ。私が白隠禅師を知ったのは、村木弘昌医師の著書による。白隠禅師のお寺を訪ねたい。そう決意し、ひと月も経たずに行ってしまうという落ち着きのないこと。禅とは程遠い己を感じる。丹田式呼吸の本で検索すると、実に数多くヒットするが、その殆どは白隠禅師に遡るのだ。臨済宗の古寺で、歴史は約700年あり、江戸
2024年3月1日 17:04
等覚院から歩く事15分。こちらは紫陽花寺とも言われている。紫陽花の季節は、こんなだという。天台宗妙楽寺は、多摩川を眼下に見下ろす長尾丘陵の一角にあります。最近の研究によれば、同寺は中世初期に存在し、『吾妻鏡(あづまかがみ)』に登場する源家累代の祈祷所(きとうじょ)であった威光寺(いこうじ)との関連が指摘され、注目をあつめています。源頼朝は、鎌倉幕府草創期に弟の全成(ぜんじょう)を威光寺