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私の百寺巡礼

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五木寛之先生は70歳を過ぎてから百寺巡礼をされた。日本の寺院の多くは車が入れない険しい石段を登る事で辿り着く。横浜辺りの寺も、ちょっとした坂の上で、わざと車が入れないようにしてあ…
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2023年4月の記事一覧

江戸から東京へ素晴らしいビジョンを 台東区上野 天台宗東叡山寛永寺 私の百寺巡礼111

江戸から東京へ素晴らしいビジョンを 台東区上野 天台宗東叡山寛永寺 私の百寺巡礼111

上野と聴くと何が思い浮かぶだろうか。
恥ずかしい事に、私は今まで「上野動物園」であった。
子ども?か!
東叡山寛永寺については、全く知らなかったのだ。

そもそも、湯島に行く用事が出来、それなら上野駅を利用するからと、上野駅、湯島天満宮方面の寺社仏閣をホトカミで探したのがきっかけであった。

ホトカミの難点として、1つの建物が点なのだ。たいていは、駅で検索し、近い場所として出て来る。
この東叡山寛

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みまもり観音に手を合わす 江東区 浄土宗不虚山当知院重願寺 私の百寺巡礼110

みまもり観音に手を合わす 江東区 浄土宗不虚山当知院重願寺 私の百寺巡礼110

周りは神社が多い中に、目立つように1つの寺院があった。
それが重願寺であった。

重願寺の山門は、「重願寺開創400年記念平成大復興(平成12年)」の一環として建立されました。
當山では、寺院建築の象徴といえる伝統的な技法を用いた山門の建立を念願していたところ、法相宗 大本山薬師寺・安田暎胤管長のご好意により、薬師寺の「講堂」(教場)に使用されていた由緒ある木材を用材として頂戴することができました

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ピンク色の似合う寺 秩父郡長瀞町 真言宗醍醐派五代院不動寺 私の百寺巡礼109

ピンク色の似合う寺 秩父郡長瀞町 真言宗醍醐派五代院不動寺 私の百寺巡礼109

秩父郡長瀞町というと、宝登山神社のイメージがあるが、その宝登山の山麓にあるのが不動寺である。
長瀞町には、七草寺と呼ばれる7つの寺があり、秋の草をそれぞれイメージしている。
ここ、不動寺は撫子である。

皆野駅の方から各地を歩き、宝登山神社奥の院にも行き、長瀞駅行きのバスを待つ人たちの列に並んでいた私を引き込んだのは、「ホーホケキョ」の声であった。
梅の季節はとうに終わったのに、と思いながら声のす

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平将平の墓と金子兜太先生の句碑 秩父郡皆野町 真言宗智山派平量山円福寺 私の百寺巡礼108

平将平の墓と金子兜太先生の句碑 秩父郡皆野町 真言宗智山派平量山円福寺 私の百寺巡礼108

ここ円福寺は、色々な物が集まり、実に見応えのある寺だと思う。

こちらの墓地には、平将門の弟、将平の墓がある。
寺院の開基は平将門ということだ。

こちらは、秩父七福神巡りでの1つ、大黒天が祀られている。
昨年秋に、1か所は偶然訪れた。そして、今回も偶然だったのだ。

私の写真にも写っているが、金子兜太先生の句碑がある。

僧といて柿の実と白鳥の話

僧といて柿の実と白鳥の話 - 皆野町観光協会

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ご縁に感謝 秩父郡皆野町 真言宗豊山派西光山万福寺 私の百寺巡礼107

ご縁に感謝 秩父郡皆野町 真言宗豊山派西光山万福寺 私の百寺巡礼107

その寺はピンクの枝垂れ桜に囲まれていた。
秩父郡皆野町、長瀞町は、俳人・金子兜太先生のゆかりの深い地である。
私は独り、皆野駅から宝登山まで金子兜太先生の句碑巡りをすべく決意したのだった。

金子兜太先生については、夏井いつき先生の紹介が詳しい。

ここ万福寺にある金子兜太先生の句碑は、こちらだ。

地蔵らよ 枝垂れ桜が 埋め尽くす

行った時期が良かったのだろう。庭は見事な枝垂れ桜でピンク色に染

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梅の季節に来たい 小田原市 東寺真言宗国府津山宝金剛寺 私の百寺巡礼106

梅の季節に来たい 小田原市 東寺真言宗国府津山宝金剛寺 私の百寺巡礼106

東寺真言宗寺院の寶金剛寺は、国府津山醫王院と号します。寶金剛寺は、弘法大師の十大弟子の一人杲隣大徳が開基となり天長6年(829)に創建したと伝えられ、地青寺と号していたといいます。後奈良帝の勅命により、弘治2年(1556)現寺号に改号、永禄年間(1558-1570)に足利晴氏が疾病した際には北條氏康の命により百座の修法を執行、北條氏康が疾病した元亀元年(1570)にも百座の修法を執行したといいます

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三福かえる🐸 小田原市 東寺真言宗高田山満願寺円蔵院 私の百寺巡礼105

三福かえる🐸 小田原市 東寺真言宗高田山満願寺円蔵院 私の百寺巡礼105

高田山満願寺円蔵院はもと国府津の宝金剛寺の末寺で、現在は東寺真言宗である。源頼朝公が府中十八ヶ村の八幡社の取締りとして祀ったものが、今の高田若宮八幡で、その別当が当寺であった。頼朝公が政子御前の安産を祈願して満願寺号を下賜したとの伝えがある。当寺境内にある聖天堂の歓喜尊は、明治15年に境内の竹林より出現。子孫繁栄を祈る有徳の神様で、毎月16日が御縁日である。又、大祭は4月16日に盛大に催されます。

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桜とお堂 横浜市南区 高野山真言宗医王山東光寺 私の百寺巡礼104

桜とお堂 横浜市南区 高野山真言宗医王山東光寺 私の百寺巡礼104

横浜市南区の久保山は火葬場、市営墓地とある為か、お寺が多い。この東光寺のその一つだ。

医王山東光寺について。
はじめ戸部村の東方西戸部反目六二番にあったが、横浜開港後の市街地の発展と、久保山共葬墓地開設にともなう環境の変化によって、明治三五年一〇月一三日、現在の地に堂宇を建立して移転したものである。
昭和二〇年五月二九日の横浜大空襲によって灰燼に帰し、昭和二五年六月一五日木造平屋トタン葺、間口五

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鮮やかな木瓜の花が見事 小田原市 浄土宗華公山円宗寺 私の百寺巡礼103

鮮やかな木瓜の花が見事 小田原市 浄土宗華公山円宗寺 私の百寺巡礼103

当山は太田院、華公山、圓宗寺と号し、太田道灌の子、太田又三郎が開基。開山は暁蓮社洞誉伝公上人である。正保4年(1647)5月14日の自身で旧本尊(厨子入阿弥陀三尊)の首が抜けその体内より又三郎の前髪及び法名の一紙が表れ現在寺宝となっている。(「川東仏教会寺院名鑑」より)

境内で目を惹くのは鮮やかな木瓜の花だ。
真っ赤な色に惹かれ触りたくなてしまう。
こちらの品種は寒木瓜、しかも、大黒天というもの

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