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新型コロナウイルスの本質

最近、マスクのみならずあらゆる紙類までもが、不足していることを知った。家族、バイト先、学校、はたまた街中でも、その類の会話が耳に入ってくるようになったし、最近はSNSでもその話題で持ち切りなので、自然と耳の中を通過させて、受け流すことが出来るようになった。(新たな情報も流してしまう危険性があるのでビクビクしているが)

「新型コロナウイルス」というあやふやな名前や、初期の明文化されていない症状の説明によって、最初は警戒心を持つことを放棄していたし、「割とどうでもいいこと」というカテゴリに無意識に分別していた。

興味を持つことを一切しないのは、僕の悪い癖である。また、そのせいで後々後悔することになるのがテンプレでもある。実際、その癖を治すことに力を注いだこともある。が、どうしても治らず、諦める結果になるのが関の山なのだ。

(話が脱線したので、速やかに戻す。)

SNSに様々な情報や憶測が飛び交い、当然デマも流れてくる。そのデマをそのまま頭にしまって、本能的に動いている人を見ると、人間の本質の様なものが垣間見えたような気になるし、自分への戒めとして、心に留めるようにもしている。

デマに踊らされることも、コロナウイルスの症状に加えて欲しいくらいである。きっと、神様が用意した抜き打ち人間性テストであることが判明したとしても、驚きは湧いてこないだろう。こういう現象に世界が陥ったとしても、せめて自分だけは、自分を揺さぶられずに耐え忍びたい。それが自分の自我を保つこと、自己肯定感に繋がっていると思う。



僕が思う、コロナウイルスの一番怖いところは人間の普段は隠れている、愚かな部分が露呈しやすくなってしまうことだ。

結局、人間はどうしても、情報の操り人形になってしまう。マスクが極度の品薄になり、続いて紙類も不足してしまう。その結果、店側に対して過度な要求をしてしまう人が出てきてしまう。ここまでの流れを見逃してしまった自身が最も悪いことに気づかずに、周りに怒りを撒き散らしてしまう。もし流れを見逃した自分に気づいて、その上でその怒りの発散の為に行っているしたら、なかなかひどい話だが。

この構図を傍から見ていると、恐怖心が強くなってきて、妙にしんみりした、悲しい気持ちを抱いてしまう。

あたり前の事だが、人間のこのような部分は以前からわかっていたし、いまさらどうした、と言われればそうなのだ。だが、そのことに改めて気づく、きっかけになり得ることだ。

その面で見ると、諸刃の剣のような存在だとも言えるのかもしれない。


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