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【1】「神」の定義を知ろう 言葉の壁を認めることで理解が深まる(旧約続編・シラ書序言)

自著『旧約聖書と外典に学ぶ95のライフアドバイス』のリメイク掲載です。(初版2015年 廃版2018年)

2014年に占い師だったルーン魔女KAZが書いた原稿を、
2025年のキリスト者KAZが加筆・修正しています。


【 本編 】

(旧約聖書続編『シラ書〔集会の書〕』序言)

聖書に限らず、あらゆる翻訳文書を読む人が理解しておくべき大前提が、シラ書の冒頭に掲げられています。
この時代からすでに、「言葉の壁」に悩む翻訳者がいたことに驚きます。そして、心から共感いたします。

シラ書巻頭の序言は、世界中の翻訳者の気持ちを代弁してくれています。
外国語をあつかう人は皆、この言葉の壁にぶつかって難儀したことがあるはずです。

原文のニュアンスを余すことなく伝えようと努めるも、もとの言語でしか表現できないニュアンスというものがあります。
日本の和歌の空気感をそのまま外国語に翻訳することができないのと同じく、旧約聖書の古ヘブライ語をそのまま日本語に翻訳することもできないのです。

一つの単語に複数の意味が掛かっている場合、日本語に訳す際はそのうちのどれか一つの意味だけを選び、他の意味を切り捨てざるをえないこともあります。
その言語独特のことわざや慣用句があります。
日本語に意訳してしまうと原著の内容が損なわれます。
かといって直訳しても、意味が伝わりません。

日本語で聖書を読むと「意味がわからない」「ピンと来ない」「前後の話がどうつながるのかがわからない」という個所がしばしば出てきます。
これは翻訳が悪いのではなく、人間の言葉の限界なのです。

聖書には聖書独特の専門用語があります。
聖書の専門用語を現代日本語に翻訳した場合、わたしたちがふだん使う一般的な意味と、聖書内での意味が異なる場合も多々あります。

おそらく聖書でもっとも誤解されやすい言葉は「神」でしょう。

「神」とは何でしょうか。

イエス・キリストを神の子と信じるクリスチャンがいう「神」。
現代日本の日常会話での「神」。
すばらしい人を誉めるときにいう「神」。
スピリチュアル好きの人がいう「神」。
信心深い年配の人がいう「神」。

日本語で同じ「神」という単語を使っていても、「神」が何を意味するかは人によって異なる場合がほとんどだと思います。
無宗教の人なら、なんとなく超自然的なもの全般をさすつもりで「神」という場合もあるでしょう。

聖書を読むには、聖書がいう「神」の定義を正しく知っておく必要があります。
まずここで聖書の「神」の定義をしっかり把握してから、聖書を読み進めてください。

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聖書の「神」とは

・神は、天地万物を創造された全能の神であり、唯一絶対の存在です。(『創世記』 1章 1節)

「わたしたちが脳内で想像する神様」ではなく、
「わたしたち一人ひとりを創造した神様」が聖書の「神」です。
(『創世記』 2章 7節)

・聖書の著者は神ご自身です。
(新約『テモテへの手紙 二』 3章 16節)

◎ 神は天地万物の創造主。
  森羅万象の統治者。←「万軍の主」

◎ 神は命の与え主=命の主。
  神なしには誰も生きられない。

× 神は人間が発明した概念にすぎない。神など実在しない。
 (概念としての神を、聖書では「偶像」といいます)

× 神は霊的存在の総称。八百万の神がいる。
 (神という名の霊的種族を、聖書では「偶像・バアル・諸霊」といいます)

× 天、宇宙、自然など、人間の領域を超えたもの全般を神という。

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現代日本で「神」というと、どうしても「八百万の神」をイメージしてしまいますね。
日本語には「唯一絶対の神」を表す言葉がないので、聖書でも仕方なく「神」と翻訳されますが、日本文化的な八百万の神とはまったく意味が異なります。

八百万柱の神がいるのではなく、ありとあらゆる「八百万の事象を統治する唯一の御方」が聖書の「神」です。
聖書で神を「万軍の主」というのは「八百万の事象を治める主」という意味でとらえてください。(旧約続編 『知恵の書』 13章 1-9節)

聖書には「神」の他にも「罪」「裁き」など誤解を招きやすい専門用語がよく出てきます。
聖書ビギナーさんが誤解するであろう聖書用語については、拙著『実用★聖書リーディング入門』で解説していますので、ご参考にしてください。


実はシラ書の序言で指摘されているような翻訳言葉の壁は、外国語翻訳だけでなく、わたしたちの身近な人との間にも存在しています。
むしろ外国語よりも、同じ言葉を使っている者どうしの方が、言葉の壁に悩むことが多いのです。

明らかに言語も習慣も異なる外国人どうしなら、「ストレートに話が通じない」という前提がありますから、お互いに注意深く話を聞きます。
しかし同じ言葉を使う者どうしの場合――わたしたちの家族や友人と話す場合はどうでしょうか。
「話が通じて当然だ」という前提でお互いに話をしていないでしょうか。
ところが、現実にはそううまくはいかないですね。

同じ日本語、同じ方言を話していても、発言のニュアンスが異なることが多々あります。
「この人とは話が通じない」と思うことはありませんか。
そのとおりです。通じないのです。言葉の壁があるのです。

お互いに同じ言語を使っていても、
同じ言葉を語っていても、
同じ文脈で話をしているとは限りません。
こちらの意図とは異なる方向に解釈されてしまうこともあります。
お互いに話が通じることを前提にしていると、「どうしてわからないの?」と腹が立ち、争いのもとになります。

どんなに親しい者の間にも言葉の壁があるということを前提にしていれば、話がかみ合わないことがあってもそれが当たり前だと思えるようになります。
そして、相手の話を注意深く聞くようになるでしょう。

腹が立つことを言われたなら、相手の発言の意図と、受け手の解釈がズレている可能性を考えましょう。
カチンときた勢いのまま反応するのではなく、「その言葉の意図は何でしょうか。わたしにはこういう意味に聞こえるのですが」と聞いてみましょう。

わたしたちは皆、同じ言葉を異なる文脈であつかっています。
お互いに。お互いさまなのです。

日ごろから言葉の行き違いが多い人は、「同じ言葉を話しているのだから話が通じて当然だ」という前提を手放してください。
あなたの話は相手に通じていません。

残念なことではありますが、わたしたちの間には言葉の壁があることを認めましょう。
言葉の壁を意識することで、お互いに注意深く話をすることができます。
話が通じて当然だと思っていたときよりも、相手の真意を深く理解しあうことができるでしょう。

「言葉は通じるのに、話が通じない!」
「同じ言葉を使っているのに、コミュニケーションが成立しない!」

この事実を受けいれることが、お互いを理解する第一歩になります。

※ アメブロ http://ameblo.jp/happy-runes/ では、各トピック文末に「リメイク余談」「KAZの近況」なども載せています。



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