【3】非現実的なアイデアにこそ従ってみよう … 神様に祈り尋ねることも忘れずに(創世記6~8章)ノアの箱舟
自著『旧約聖書と外典に学ぶ95のライフアドバイス』のリメイク掲載です。(初版2015年 廃版2018年)
2014年に占い師だったルーン魔女KAZが書いた原稿を、
2025年のキリスト者KAZが加筆・修正しています。
【 本編 】
(創世記 6章~8章)
ノアの箱舟のストーリーは、聖書になじみがない人にも広く知られている有名なお話ですね。
地上が素行不良な人間だらけになったので、神様は地上を一掃することを決意。(創世記 6章前半)
神様に義人と認められたノア一家と、すべての動物のつがいを巨大な箱舟に乗せてから7日後に、神様は大洪水を起こしたのでした。このときのノアは600歳でした。
大洪水の際40日40夜にわたって雨が降り続けたとあります。(創世記 7:4、12)
ここで注目したいのは、ノアが素直に神様の言葉に従って箱舟を造ったという点です。
「もうすぐ大洪水が起こります。地上の生き物が滅びるから、あなたは箱舟を造って難を逃れなさい。」
と言われて、それを素直に信じられる人がいったいどのくらいいるでしょうか。
ほとんどの人はその言葉を疑うか、笑い飛ばして相手にしないでしょう。
旧約聖書の舞台である中東エリアは、雨季には雨が降るにしても、水資源が豊富とはいえない地域です。広大な砂漠が広がっています。
そのような地域に40日にわたって大雨が降って大洪水が起こるというのは、あまりにも現実離れしています。
それでもノアは神様を疑わずに、命じられたことをすべて果たしました。
そのおかげでノア一家と動物たちは大洪水を生き延びることができました。
ノアのように神様の言葉を直接聞ける人でなくとも、現代のわたしたちは「突然のひらめき・インスピレーション」という形で神様のメッセージを受け取ることがあります。
英語のインスピレーション(inspiration)は「息を吸う」という意味であり「神の息吹」をも意味します。
聖書では神の息吹を「霊」「聖霊」ともいいます。
わたしたちに神様の息吹・インスピレーションが吹き込まれたとき。
つまり人の内側におられる神様の霊が語りかけてきたとき、わたしたちはそれを「ひらめき」という形で認識すると考えてよいでしょう。
ひらめきによって即実行可能なすばらしいアイデアを授かることもあれば、非現実的なアイデアを与えられることもあります。
神様由来のひらめきは、稲妻に打たれたような突然の思い付きだけでなく、一般にいう「良心の声」もそうですし、心の中で静かにわきあがる想いという場合もあります。(列王記上 19:12など)
ひらめきがどのように訪れるにせよ、一般にいう「運が良い人」は、非現実なひらめきにも従うことができる人です。
せっかくのひらめきを「そんなことがあるわけない」「それは無理だ」と人間目線で判断して却下してしまう人は、神様から与えられたチャンスをも却下していることになります。
却下されたアイデアは、別の人が受け取って実現させることになるでしょう。
ですからどんな突拍子なことであれ、何かをひらめいたのであれば、そのひらめきの内容をいったん肯定してみましょう。
そして心の中で神様に尋ねてみましょう。
「これは神様のアイデアですか? それとも私のエゴが勝手にそう思っているだけですか?」
神様に心を向けて何かを尋ねることを聖書では「祈り」ともいいます。
祈りの本質は神様に聴くことであり、神様との一対一の対話です。
だから本シリーズのタイトル【神様の声を聴いてみよう】は、
別の言い方をすれば【神様に祈ってみよう】です。
神様の声を聴くこと、すなわち祈ることです。
どんなつまらないことでも、人間的には恥ずかしいと思えるようなことでも、わたしたちの造り主=魂の御親である神様は喜んで聞いてくださいます。
きっとノアも箱舟を造る際には、本当にこれでいいのだろうかと何度も悩み、神様に祈りながら作業をしていたはずです。
ひらめきの内容について、神様に祈ることを躊躇してしまう場合は、ひらめきの内容が神様由来ではない可能性が高いです。
神様に与えられたひらめきであれば、神様に堂々とその件を祈り尋ねることができるはずですから。
ひらめきの内容に何らかの後ろめたさ(罪)があると、前項【2】のカインのように神様から顔を背けたくなるし、神様に祈ることもできません。
そして神様がいない(と思える)ところでコソコソ自分の計画を強行する罪人となってしまいます。
自分のアイデアを神様に知られたくないと思う時点で、そのひらめきは正しくないので却下すべきです。
(参考:【2】神に対してやましいこと(罪)がないなら、堂々と顔をあげればよい(創世記 4章 1-9節)
ひらめきが神様由来の正しいものであっても、そのとおりに祈って行動すればすべてがうまくいくとは言いません。
途中で頓挫することもありますし、失敗することもあります。
これは神様のお導きだと思ったけれど、自分が間違ってたのかなとガッカリする結末になることもあります。
それでも、神様からのひらめきに従った結果ならば、無駄に終わることはありません。
もし失敗しても、失敗するまでのプロセスは次の何かに必ずつながっています。
神様のご計画の全容は、人間的な狭い視野と知識経験の範囲内におさまるものではないので、わたしたち人間にはわかりようがありません。(エレミヤ 24:11)
新約聖書の福音書では、神の子イエス・キリストですら、父なる神のご計画の詳細はわからないと公言しています。(マタイ 24:36 など)
わたしたち人間は根本的に無力な存在であることをポジティブに受け入れれば、
目先の成功・失敗にふりまわされることなく、父なる神様に信頼して次なるひらめきを受け取ることができます。
創世記のノアが大洪水を生き延びたのは、ノアが神様に目をかけられていたからではなく、ノアが神様の言葉を信じてせっせと箱舟を造ったからです。
箱舟の完成品が神様からポンと与えられたわけではないことに注目しましょう。
いくらノアの心が清く美しかったとしても、ノアが神様の命令どおりに箱舟を造らなかったならば、大洪水にのまれて終わっていたでしょう。
神様は、ノアに大洪水を生き延びるためのアイデアを授けただけです。
神様にできるのはそこまでです。
ノアがそのアイデアを信じて実行するかしないかは、ノアの自由意志によります。
わたしたちにも、大小のひらめきが神様から与えられています。
そのひらめきは、いつどんな時にやって来るかはわかりません。
ふいに与えられた導きをいかせるか否かは、わたしたち個人の判断しだいです。
現代でも、説明不能な直感にしたがったおかげで成功した人や、天災や大事故の難を逃れた人はたくさんいます。
日ごろから運が悪いと思う人、チャンスが来ないと嘆なげいている人は、
神様に与えられたチャンスをみすみす放棄しているか、気がついていないだけなのです。
神様によるひらめきに、人の所属宗教や信心深さは関係ありません。
現代日本には無宗教の人がたくさんいますが、それでも問題ありません。
聖書の神様=まことの神様は、宗教という枠組みの中におさまる存在ではありませんから。
神様はこの天地万物あらゆるものを創造して、いまもすべてを治めておられる御方であり、
わたしたち一人ひとりを生かしてくださっている命の与え主です。
宗教とは関係なしに、いまこの瞬間も神様はわたしたちを愛して共にいてくださり、導いてくださっています。(マタイ 5:45)
もしかしたらノアのように、今日この後いきなりとんでもないアイデアを授かるかもしれません。
何をひらめいたにせよ、その時は神様に祈り尋ねてみましょう。
そして神様に対して謙虚になって、ノアのようにそれを実行してみましょう。
神様が与えてくれたひらめきであれば、必ず何か得られるものがあるはずです。
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