光陰、矢の如し
秋の夜長に今晩は。
秋生まれの哀愁漂う漢、先日の誕生日で今年もまた年を取りました、、
Shallowです。
さて突然ですが、こちらのブログは「アラサー漢♂の備忘録」と題打ってやらせて頂いております。
要するに、「枕の草紙」のおじさんエディションです。
きっと千年後、古典文学の金字塔として、教科書に掲載、定期テストに出題、全国津々浦々の入試問題に引用される事でしょう!(確信)
未来の女子高生たちが血眼で解説書を片手に、当ブログの「行間を読む」姿が思い浮かびます。
全くもって照れますね~~
しかし、私の明晰な頭脳は、ふと、ある疑問に思い至ったのです。
「あれ、俺ってまだアラサーだっけ!?」と…
そう、一般的な「アラサー」の定義は(少なくとも私が20代の頃に思っていた定義は)、せいぜい30歳±2歳くらいまででしょうか。
かく言う私は、そろそろ三十路も折り返しの年齢となってしまいました orz
果たしてこれを、アラサーと呼称してよいものでしょうか。
「バスタオルや枕からおじさんの臭いがしてきた漢♂の備忘録」と改めないと、ナントカ表示法違反でナントカ庁から行政指導的な何かを頂きそうな気がしてくるというものです。
それにしても、月日が経つというのは本当に早いものです…
私もついこの間まで、学生だった(気がする)のですが。
まさに、「光陰、矢の如し」ってヤツですね。
眼に力を入れてよく見ていないと、あっという間に、「矢」は跡形もなく過ぎ去って行きそうです。
まあ考えてみれば当たり前かもしれません。
ある人の年齢をN歳と置きます(←おもむろ過ぎ)
すると、その人にとっての1年間は、人生の1/Nと表現することが出来ます。
もしその人が1歳なら、1年間は人生の1/1を占める事となります。
しかしながらその人が30歳なら、1年間は人生のたった1/30のみとなってしまうのです。
この分母Nは、不可逆的に増えていきます。
長々と書いてしまいましたが、要は、歳を取ればとるほど、その人の人生にとって、1年間の比重は軽くなっていきます。
よく「年を取ると1年間が早い」なんて言いますが、当たり前の話ですね。
私の次の1年間も、きっと今年以上に早い1年間になる事でしょう。
いつどこで読んだフレーズかは忘れましたが、こんな言葉を覚えています。
「人生は何もしないで過ごすには長すぎるが、何かを成すには短すぎる」
「若者」の終わりが少しずつ見えてきた資格マニアの端くれとして、今、この言葉が少しだけ身に染みています。
暫く資格マニア的には何の成果も得られない1年間が続いておりますので、ここらで流れを変えたいところですね。。。
取り敢えず、後3~4年くらいは「アラサー備忘録」というタイトルで走ることに決めたところで今日は筆を置きます。
ではでは~