創造の源泉は、感謝

みなさん初めまして。ダンサーのShala(シャーラ)です。

1994年にダンスを習い始め、2001年よりプロのベリーダンサーとして活動をしてきましたが、どうしてもオリジナルの舞台公演を行いたくて、インストラクターを続けながら、少しずつ足掛かりをショーダンサーから創作活動へと移してきました。初めてのソロ公演が2006年、舞台を主催する経験を重ねたこの頃は、次はどのような共演者と出会うのか(いつだってどこからともなく現れます!)、曲に出会うのか、作品を創るというよりも創らされているようで、プロセスから本番まで全てが楽しくてなりません。そんな出会いの経緯についてももちろん書きたいですけれども、その前に。

そんな中迎えた記念すべき分岐点となる2020年の冬至、知らず知らず溜まった疲労からいつになく体調を落としたあとの回復期、夜中にいきなりインスピレーションが舞い降りてきました。

それは、どうしてもダンサーになりたかった、でも一体何から始めて良いやら、親に大反対されることも目に見えていてそれでも絶対に諦められない!という、始まりから現在地点、今の私になるまでに手を貸してくれた面々、時には叱咤激励を与え、窮地には手を差し伸べ、教えの導き手となり、快く仕事を紹介してくれた面々、膨大な人たちの顔という顔。それはもう眠れないほど、次から次へと!みんなどうしているかな。会いたいな。

ちょうど、新しくnoteを始めることが決まり、準備が進んでいたタイミングで、「創造の源泉は感謝」とばかりに、そうした方々への感謝を綴ることから始めていきたいと閃きました。とても長くなってしまうかもしれません。幼少期からの訓練といったような、通常プロのダンサーに必要と思われる経験を何も持たなかった私が、プロになれただけでなく、どうにかこうにか自分自身の道を見出すまでの人との出会いの神秘、その迷宮のようなプロセスを“Sha-Labyrinth”として記したいです。(ラビリンスそのものについてもいずれ!)

それでは、まず始めに。

私が人生において美を求めるようになった、そのために舞台活動をしているところの源泉は、元を辿ると両親、特に母親です。この頃ようやく気付きました。父はおおらかでユニークな人物で、話す時も独特の「間」を持っているのですが、以前実家に泊まりにきたベリーダンサーの友人から、「シャーラの独特の間(ま)は、お父さんから来てるんだね!」と言われた時、どうやら受け継いでいるらしいことを初めて知りました。舞台では「間」は何よりも大切なので、思ってもみなかったギフトです。動物好きの私を幼少よりあちらこちらの牧場へ、自然の中へ連れ出し思う存分遊ばせてくれたことも大いに創作の原点となっています。

また、この頃の舞台ではクラシック音楽に少しずつ重点が置かれるようになり、これは母からのギフトです。最近レコードをよく聴くお気に入りの作曲家の一人、チャイコフスキーのレコードを、母もまた始終聴いていたのを思い出しました。胎教も間違いなく、チャイコフスキーがメインに違いありません。そういえば、私がお腹にいた時、母はカボチャとヨーグルトしか食べられなかったそうですが、その母が女神アフロディーテを象徴するシャンパンと生牡蠣しか食べられなかったという、かの大舞踊家イサドラ・ダンカンとは大違いですね。カボチャは紀元前数千年のメキシコの洞窟から見つかっているというし、ヨーグルトはブルガリア、トルコ辺りの原産でしょうか。いずれも(メキシコとトルコ)訪れて素晴らしい思い出です。その話もまたいずれ。私の場合、大地に根差す素朴な原住民といった魂なのでしょうか。

話が逸れましたが、美の源泉を母に辿り、音に包まれる感覚もまたそのまま創作に繋がっていくんですね。子宮の中で、安心してクラシック音楽を聴いていたのならば、こうしてベリーダンサーとしてアラブ音楽を舞うことがメインだったにもかかわらず、舞台の大団円にクラシック音楽を積極的に嵌め込むようになったのも、ようやく深く納得がいくのでした。だって、生命の喜びをテーマにしているのですもの!と、たった今気が付きました。笑 何かこう、書きながら気付いていく日記になるのでしょうか。

それでは、今夜は聖なるクリスマスの夜(元を辿れば古代ミトラス教の聖日ですね。これもまたいずれ!)であり、とっても楽しみなベリーダンスのショーがありますので、行って参ります!また綴りますね。














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