ツキヨミと台与
古事記、日本書紀に出てくる三貴神。
アマテラスとスサノヲに関する記述は多くあるけど、ツキヨミに関する記述はほとんどない。日本書紀では、オオゲツヒメに対する記述があるが、古事記ではスサノヲの行いとされている。
なぜ? 三貴神と言われる重要な神であるツキヨミがこのような扱いをされるのか?
外星人だから。
ツキヨミがいた当時の人々は外星人であることを受け入れ、ともに生きることができた。そして、誰がどんな功績を上げたなどといったことにも頓着がなかった。
外星人であるツキヨミの力は、地球人を遥かに凌駕するものであったし、ただただその力に感心していただけだった。
でも、古事記や日本書紀が編纂された時代、この2つの記紀は、当時の支配層の地位や力を誇示するものであったから、外星人の力を素直に書き留めることはできなかった。
でも、無きものとすることもできなかった。だから、こんな神様もいたよ、という記述にとどめたの。
ツキヨミの力はどんなものだったか。まずは食べ物がたくさん収穫できるよう大地に祝福を与えること。次に戦いなどで亡くなり、呪いのようになってしまった魂を浄化し、輪廻に戻してあげること。
ほかには、人だけでなく、動物や鳥、森や緑の病気やケガなどを治すこともできた。ただ、宇宙の愛に素直に向き合える人がほとんどだった時代だからできたこと。
今だったら、反発する力が大きすぎて、仮にツキヨミの力を行使しても、反発する力でかき消され、実現できない。今はそんな時代。
台与についても同じ。それまでヤマトの国を治めていたのはヒミコという称号だったけれど、なぜかその称号を使わなかった。台与がヒミコの影に隠れていた頃は問題がなかった。ヒミコの力としていればよかったから。
その頃から「私達だけで」という思いが強くなっていった。だから、台与についても記述が日本にはない。
天岩戸隠しはヒミコ(アマテラス)の死。岩戸から出てきたあとは、タカミムスヒという男性の神がいつもアマテラスの横にいる。その頃から出雲国譲りなどの話が出てくる。
出雲国譲りは、オオクニヌシが進んで譲ったのではなく、神がその大きな力、軍事力を使って奪い取ったもの。それは記紀を読めば分かる。
異を唱えるものは、地の果てまで追いかけ、屈服させる。これは神の行いではなく人の考え。宇宙の愛や神の力から人の力を信じる方向へ傾いていったのです。
ここまで自分たちの力が強くなれば、台与はいらない。だから一切の記述がない。代与も外星人というかツキヨミと同一人物。魏志倭人伝に台与の名が出たので、ツキヨミとして記紀に残った。