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言霊と自尊心


『自尊心』とは、自らを尊ぶ心、と書きます。

尊ぶとは、価値を認め大切にする気持ちです。


皆様はいかがでしょうか。

ご自身の価値を認め、大切にしているでしょうか

無意識のうちに『私なんて、、、』

と自己卑下の癖はついていませんか?




日本という国は『謙遜』が美徳とされる傾向が強いように思われます。その国の美徳が、個人の自尊心を知らず知らずに低くしてしまっていないかと危機感を持っております。



というのも、ふたんの日常会話でもそれを感じることがあり

私は自然な会話の中で、心から良いと思ったことは飾らずそのまま伝えていますが

相手から返ってくる言葉は不思議と

『あなたの方が…ですよ』

『こんなの…ですから!私なんて…ですから〜』

と冗談混じりではありますが、わざわざ自分を下げて、私を上げてみせたり、良いと言った部分を笑い混じりにではありますが、短所のように変換した返事が来るのです。

でもこれは決して珍しい会話の流れではなく、寧ろ自然に耳にする内容ですが、私はこれを何となく違和感を持ち、記事してみようと思いました。



私も知らず知らず、そんな会話の流れに自然に乗っていたことに気づき、

謙遜の為にわざわざ下げる言葉を頭の中で探して口に出してしまうと、やはり言霊が乗ってしまい自分を下げた言葉が、スルリと自分の意識の中に入り込んで居座ってしまっているようで

この習慣には危機感を持っております。


なので人との会話は、相手に対しても、自分にも対しても言霊が刻み込まれるという意味でも慎重に気をつけるようにしております。




言葉には礼節や定型文であっても

エネルギーベクトルや明暗があるのだと私は思っております。

それは何から発せられるのか。

ポジティブ、ネガティブなどのエネルギーの発信点には

何が存在しているか


最近はこの自尊心の感情について深く考えることがあり、記事を作成しておりました。

これは精神土台を支える生きていく上で大切な感情なのだと考えております。


やはり言霊にも『受ける言霊』もありますが、『発する言霊』もあり

その発信起源は『自尊心』なのではないかと考えてみた次第です。



皆様これを読んでまだまだ話が広がりそうな予感を感じていただいているでしょうか


この先の続きの記事を下書きや添削を繰り返しておりますので


お楽しみに^_^