セルフ・クオリティ向上と社会貢献
セルフ・クオリティ
直訳すると『自分自身の質』になりますね。
これを考えたキッカケは
人の役に立つためには『能力』と『技術』が必要だと気付いたからです。
仕事とは、社会で貢献すること
ベタかもしれませんが、私はそう思っています。
その貢献により、社会で自分達の生活を成り立たせているのだと思っております。
私は鍼灸師で、当然ながら仕事のご依頼は『治療』です。
健康を提供する職業です。
医療は日進月歩の中、
西洋医学では原因不明や対処法がない方々など
『鍼灸』という治療法を選択してくださりご依頼が参ります。
治療にはマニュアルで100%解決するものではなく
個々の施術者の技術が必要です。
相手の『自然治癒力』を引き出す技量です。
『クオリティの高さ』とは、それくらい人の役に立ち、需要のあることだと思っております。
ただ、漠然と毎日の仕事をこなすだけではなく
こうした強い意識付けは大切です。
漠然とした仕事は、相手に与えるものも、自分が経験として得るものも漠然としています。
職業的に、言えば『技術や能力』かもしれませんが、これらは広い意味を持つかもしれません。
そして技術の種類によっては、これからは機械的能力はAIが取って代わっていくので、
私達は機械やAIには再現できない『人間性』を高めることもセルフ・クオリティを大きく占めていくことでしょう。
寧ろ、この人間性が今後の社会で価値を持つと思っております。
私の中での『セルフ・クオリティ』は職業技術だけではなく人間性を含めた広い意味を持っております。
では、このように意識付けの後
どのようにして『セルフ・クオリティ』を上げていくか?
どのようにして自分自身の価値を高めていくか?
もちろんそれは『努力』という答えが一般的かもしれません。
しかし私の中では『努力をする』という答えは、具体性に欠ける根性論に聞こえなくもないのです。
『訓練』
私がたどり着いた答えらこれで
これを避けては絶対に向上は致しません。
訓練と言いますと、なんだかストイックで息苦しいイメージを持たれているかもしれませんが、私の中ではごく自然で、
寧ろ『天性』という生まれつき与えられたものを遥かに超える
可能性を持った言葉と捉えております。
学校の試験で高い点数を取る
それはある意味『その時のその自分』という
1場面切り取りの一時的能力です。
大切なのはそれを未来の成長経過を持っていく
『反復訓練』で
肉と骨に落とし込み、更にそれを『持続』もしくは『向上』させる必要があります。
『訓練』という言葉は私の中で、反復性と持続性を含んでおります。
オートマチック意識に落とし込むには
『反復訓練』
これ以外に最短ルートなどないのです。
先程『天性』という生まれ持ったものを例えたように
『才能』や『センス』
という言葉がありますが、
才能を『上げる』より『開花』
センスを『上げる』より『磨く』
いずれにせよ、開花も磨くも一時的な努力ではできません(敢えて努力と言ってみました)
これらも同じく、労力を伴わず得る能力ではなく
無意識にせよ、意識的にせよ、訓練が必要なのです。
武器を持つだけでは何も生まれません
武器を使う、活かすのが技術です。
そもそもセンスや才能などは
初めから自分自身で正確に自覚できるものなのでしょうか?
他者からの評価や指摘や何らかのフィードバックがない限り
自覚はしにくく、自覚がなければ方向性をつけて活かすことは難しいのではないでしょうか
自分が何を備えているか?
それ知るために経験の場数を踏む行動力だって必要です。
行動力があるからこそ『訓練』ができるのです。
それ自体も既に訓練になっております。
もう一つ、訓練という反復回数はもちろん
クオリティを更に高める為には
一回当たりの集中力や学習感度の高さで差がつくと思います。
私は以前の記事にも『瞑想』や『マインドフルネス』を取り上げました
皆様は瞑想のご経験はございますか?
一秒一秒の意識や呼吸が
いかに普段無視されているか、
傍から見れば誰にでもできる簡単なことのようで
一秒一秒の意識を集中させること
『瞑想』
これが、クオリティを、上げる反復訓練にも繋がることです。
皆様いかがでしょうか?
社会の中だけでなく、
職業として、クライアントや同僚、師弟として
家族として、親や子や兄弟として
パートナーにとっての女(男)として
大小関わらず、様々な関係性の中で
あなた自身は誰かを助けたり、役に立ったりできているでしょうか
毎日の業務やこのようにブログ記事を書くことも
私は一つ一つすべてが最終的に誰かの為に役立ってほしいと願っています。
だから私は日々、自分の価値を高めていくのです。
人の役に立つことは最終的に人として、人生そのものが豊かに『幸せ』になれると思っております。
セルフ・クオリティを上げることが長い長い人生の幸福論に辿り着くと信じております。