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整理整頓って笑い?

明日のアー公演、「整理と整頓と」を見る。結論から言えば、アカデミックに笑いを追求するならやりたいことはわかるけど、笑いのテクニックが追いついてなくて稚拙。笑いの技術を学ばないと、ユーモアのテーゼが観客や本当に議論したい人に伝わらないと思った。

稚拙な部分を「所詮コントっておふざけなんで」と逃げるスタンスは私には合わなかったな。

そもそも今回の公演は、「笑いとはなにか」ということに正面から向き合っていて、期待を下回ること、もやもやが整理されることが笑いに繋がると定義されている。でもそれって古いギャグの形で、シュールやナンセンスなキャラが急に出てきて笑いがでてくる時代は数十年前に終わってる価値観、今回で言えば役者自身の愛おしいキャラクターで笑ってる人が多いと思われる。

それは身内笑いの一部であって、内々のコントとしては成立してたとしても、「笑いとはなにか」みたいな壮大なテーマに対しては、随分稚拙な笑いの取り方で、テクニカルには浅い笑いの認識。今の笑いは「シュールなことやオチになることを言う側にも一理ある」みたいな二律背反な矛盾や複雑さを俯瞰的に笑う形が、コントでも笑いでも主流になってるように思う。

学生演劇ならまだわかる。これが伝えたいんだという主題に突き抜けた公演をやるのは荒削りさがあって良い。でも10年やって、その荒削りを「斬新さ」と受け取ってくれるファンにだけ伝えるやり方は、正直成長性がないなと感じた。

なーんて思ったけど、役者さんたちはキャラが立っていて魅力的で、思索に富む公演であったとは思う。公演としてのさらなる質の向上を期待したい。

ユーモアは期待を下回ることで生まれるんじゃなくて、予想から外れる意外性の面白さなんじゃないかなと思った。だから、下回るオチを持ってこられても「ふーん」となって笑えない。その価値観の違いが最初からあるので、なんとなく素直にのめりこめなかった。

あと、理系として気になったのは、エントロピーの減少は生命の関わりとは直結する話ではない。生命は、エントロピー増大の法則をうまくいなす形で、新陳代謝やエネルギー蓄積を行っていて、乱雑さを含む自然さを、地球という循環系の中でうまくやり繰りした存在である。
そんなことを、「恋の摩擦力」みたいな古典物理と一緒にするものだから、余計に「そこは公演全体で踏み込んだ理屈を作ってよ」とも言いたくなるようなオタクの琴線に触れる題材であった。まずは取り上げてくれたことに感謝している。
整理と整頓は笑いを生み出す原理じゃない。自然な乱雑さから秩序を見出すこと、その秩序が一見ナンセンスだけど、理にかなっていることの面白さや不条理が現代のユーモアなんじゃないかなーと思った。

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