麻雀の流れとは宗教である
コロナウィルスという単語が世に浸透してから早くも半年が過ぎた。通勤時間帯の電車は混み始めたし(感覚では一年前の9割くらいか)、飲み会帰りと思われる人々を見る機会も多くなった。
さて、Mリーグも待ちに待ったファイナルシリーズが再開し、残すところ4半荘。日々、熱戦が放送されており、麻雀を打ちたくても打てないサラリーマンとしてはありがたい限りだ。
麻雀放送を見ていて、一つ良くなったな、良い時代に、良い方向に進んでるなと思うのは実況・解説のレベルの向上だ。
今は2020年。筆者が麻雀放送を見始めたのは2004年頃なので、それ以前はリアルタイムでは分からず、残っていた動画などでの推察となってしまうのをご容赦頂きたい。
が、なんと言っても、"『流れ』に対する肯定的発言"が減っているのだ。その点において麻雀が良い方向に進んでいる、と強く感じる。
2008年~2010年頃、AbemaTVなんて無かった時代、各麻雀団体の思想が強く反映された対局はニコニコ動画や各団体の持つチャンネルで放送されていた。
全てがそうとは言わないが、上の(教祖の)ご意向に沿った打牌でないと、ぼろかすに叩かれた。多くは面前をよしとし、鳴いて結果が悪く出た場合は責められる。鳴かない場合はしょうがない。ベテランの打牌は結果が悪く出ても『あれが彼のスタイル』という言葉でフォローされ、検証されることはない。
さすがに一般人もその宗教のでたらめさ、おかしさには気づいていた頃だったのだが。
そんな放送の中で多用された忌むべき言葉がは『流れ』だ。
意外にも筆者が感じており、皆さんも気づいているのだろうが、本記事の題名として明文化された例は少ない。よって敢えて書く。
流れは宗教だ。
宗教は信じることから始まり、科学は疑うことから始まる。この言葉に私はかなり共感できる。
宗教、という言葉に今や多くの人が少しの『胡散臭さ』を感じることと思う。その通りの『胡散臭さ』を『流れ』にも感じてほしい。
・神様はいるかいないか
・流れはあるかないか
この二つの議論はするだけ時間が無駄なのだ。信じている人にとってはあるのだろう。
そして、ある、と信じたくなる気持ちは分からないでもない。が、その宗教を信じない人への弾圧はしてはいけないし、公の場でその宗教理論をもって他人を批判することなどあってはならない。そんな放送は糞食らえだ。
今、20代の人はもしかしたらそんな宗教色の濃い放送が蔓延していた時代を知らないのかもしれない。
今、AbemaTVで放送されている良質な麻雀番組は藤田晋さん含め、多くの『科学者』が作り上げたものだ。かつて、オカルトバスターズとして戦い、実績を積み上げた人たちがいるのも大きいのだろう。この良き世界が続き、発展していくことを願っている。そして、宗教で弾圧された犠牲者がいることも忘れてはならない。
しかし、この世のものごとは0か1ではない。アナログなものである通り、宗教が全くダメなわけでもない。ただ、その宗教に縛られず、自由な思想・行動が許される、そんな時代が良い。全く科学的でないが、おみくじをひく心の余裕くらいは持ちたいものだ。
私の好きなブログ(武中プロ)に、地動説・天動説と、世間の麻雀に対するイメージを関連させて書いた回があった。
流れ、に対しても同様に少しずつマイノリティーがマジョリティーに変わってるんだろうと思わせる。
これらの活動に携わってくれた人々、特に『科学』、『統計』を用いて書籍を出してくれた方々、統計を可能にしたネット対局に力を注いだ人達に感謝したい。そして、何より『科学的な』思考をもって、映像対局、タイトル戦などで結果を出し、また出そうとされている方々に敬意を表する。
あなた方のお陰で、今、麻雀界の技術的な面は確実に良い方向に進んでいる。
以上、一麻雀ファンとしての感想でした。
さて、お布施しているAbemaTVプレミアムでの最終週を楽しみますか。
(平成から令和までの麻雀史って、歴史としてまとめたら、面白いと思いますけどね。真実がしっかりと書かれるのであれば、、、)