歴史と日記 -ひろしまタイムラインの問題点-
Twitterに書いたものの再構成版みたいなやつです。
世の中には日記というものがある。日記は、その時にあったこと、そのとき何を感じたか、何故感じたか、そのようなことが書いてある。世の中、ネガティブな人がいて、日々の反省を書いてる人もいるかもしれないが、大抵の場合はそうではない。自分がその日あったことに対して、どのような知識を持っていて、どのように感じたか、どのように考えたかを書く。そして、当人にとってそれはすべて正しい前提で書かれてゆく。
しかし一方、自分がもし子供の頃や昔の日記を棚から発掘し読んでみたらどうであろうか。たいていの場合は多かれ少なかれ気恥ずかしくなるのではなかろうか。あの頃は若かった、ああいう"時代"であった。それが良い時代だったかは別にしてである。時代が変わり、経験を積むにつれ、当時の判断が正しかったのかが変わっていくのが普通であろう。
そして、その"時代"が戦争中であり、正しい情報が意図的に封じられ、嘘で塗り固められていた時代であったらどうであろうか。
先にも書いた通り、当時の人は当時の情報を元に、当時の出来事があったのでこう考え、こう感じたと書く。昔の他人の日記をずっと読んでいけば、恐ろしいほどの説得力を生む。戦時中、正しい情報が意図的に封じられ、事実でない情報が流れてくる。しかし、日記の中ではそれは真実扱いとして、判断され、それをもとに考え、感じたりする。そして、それはものすごく"正しく"感じる。むしろ、判断自体は正しい。元の情報が間違っているだけである。が、元の情報が間違っていたなら、本来は判断自体も間違いになるはずである。が、それに気が付けなくなる。それを日々の日記を読み進めると、だんだん感覚がマヒしてくる可能性が出てくる。
しかしながら、先に書いた通り、本人ですら昔の日記を読んで気恥ずかしい、今とあっていない、昔は間違った情報で判断していたと感じることが多いのに、今の人間が昔の人間が書いたものをそのまま読んで「これが当時の"リアル"なのか」と判断してよい物であろうか?
少し前、Twitterでこんな事件があった。マンガが書ける人がいて、自分の身の回りでむかつくことがあって仕事を辞めた。そして、そのむかつく経緯をマンガにしたのだ。これも一種の日記である。
しかし、このマンガにはオチがあった。インターネットで話題になると、当然、そのむかつかされた相手側もそのマンガを読む可能性が出てくる。そして、実際、読まれた。そして、反論のマンガを描かれてしまった。最初の漫画は、当然ものすごく説得感があった、そして、反論マンガも十分説得感があったのだ。
自分には上記のマンガ事件ではどちらに実際、分があったかは分からないしあまり興味がないのだが、理解してほしいのは日記というのは、他人が読むと過剰な正当性を与えるものなのだ。
歴史家と言わずとも、歴史に興味がある人なら日記とは少し違う、政治家の書いた回顧録というものを読むことがあるだろう。この回顧録は確かに一級の資料なのだが、ではここに書いてあることがすべて正しいのかと言えばそうではない。読めば確かに、怒涛の説得力を受けるのだ。その人がどう考えたか、その理由とともに書いてあるのだから、読み手からすれば説得力の塊のように見える。
しかし、それがすべて正しいわけではないのだ。日記と同様、書き手が正しいと思っていることが書かれている。が、それが事実をもとにそう書かれているかと言えば必ずしもそうではない。
英国の政治家は、辞めたらすぐ回顧録を書きたがる。ヨーロッパの政治家全般としてそのような傾向がある。しかしながら、みんな回顧録を書く。すると、読み比べてみると矛盾するところが出てくる。各々の回顧録を読めば、それが正しそうに見えるが、比べると矛盾が出てくるのである。このようなことを知っていれば、回顧録や日記というもののある種の恐ろしさというものがわかる。読んでる最中は、正しい気がする。比べると矛盾がある。
というわけで、他人の日記というものはそこそこ危険な代物である。一方で、歴史家と言わずとも歴史というものに多かれ少なかれ興味があれば、これくらいは察せられるのではなかろうか。NHKとしては力を入れていた企画のように見えていたので大変残念である。
しかも、それに加えて単にある人の日記をそのままTweetしたものですらないらしい。日記の原典によるとこのような記載はなく、NHKの説明によると当時のインタビューによるものとのことである。https://www.nhk.or.jp/hibaku-blog/timeline/434538.html
普段の別のTweetが日記の原典からどれくらい加えられているのかは知らない。朝鮮人が穴掘らされていたのが事実の可能性はそれなりにあると考える。朝鮮人が「この戦争はすぐに終わるヨ」と平気で言い放った可能性についてはどうだろうと思う。穴掘ってるって言ったって、監督者もいるしそもそも話す言葉から朝鮮人と判断してるのにここからいきなり日本語である。が、このTweetを読んでいると、当時13歳の彼が穴掘ってる朝鮮人がいて、「この戦争はすぐに終わるヨ」と言われてムカついたのは説得力があるように見える。
13歳の彼がどう考えていたかは知らないが、よく考えたらそもそもなぜ広島で朝鮮人が穴を掘っているという状態が発生するかというのが、"歴史"というものを考えることではないのか。当時13歳の彼からすれば、なんか朝鮮人が穴掘ってるって話であろう。当時の日記ならそれでよい(そもそも実際、日記に書いてないが)(日記なんて個人の感想である)。が、歴史というものを紹介する時、これがなんもなしに紹介するのが適切だとは到底思えない。しかもこのエピソードを付け加えたのはNHK側である。
つまり、こういうことじゃないですか?
***追記***
よくわからん?昔、宮崎勤というロリコンが殺人事件起こして、当時のワイドショーかなんかがオタクを叩いてたらしいけど、今その当時のワイドショーをみたら、すんごいオタクが悪者に見えると思うよ。それ、そのまま流していいとおもう?ってことだな。ついったーのオタク向け説明である。当時のものをそのまま流してるならなんでもokとはいかんわけですな。はい。