自宅隔離生活から見えてきたこと
先日、同居している母が流行りのウイルスにかかりました。
当然、私は濃厚接触者なので自宅隔離。
二人で住んでいるため、私が全般の家事をやることになりました。
普段わたしは料理はよくするけれど、情けないことにその他の家事は初心者です。
毎食の準備、掃除、洗濯、こまめな消毒などで3日目にして既に音を上げそうだけれど、
ただ「きつい」「しんどい」で終わってしまうか、その生活の中でも新たな気付きを得られるかどうかは自分次第かなと思っています。
色々と思う事をここに残しておきたいと思います。
お母さんってすごい
私がまず思ったのは、
「お母さんってすごい」
ということ。
何がすごいって、普段フルタイムで仕事をしながら(何なら残業マスト)帰ってきたら愚痴や弱音を吐かずに家事をすべてこなす生活を毎日送ってきたということです。毎日当たり前のようにそんな生活をすることは今の私には考えられません。
感謝されたときの気持ち
母は、私が食事を運んでいった時や食器を回収しにいった時、
「ありがとう。ほんと、至れり尽せりで・・・」
と、とても申し訳なさそうにします。
その言葉を聞く度に、なんだかこちらの方が申し訳ない気がしてしまうのです。
「自分は普段こんなに感謝を伝えていただろうか」
「母が何かしてもらうことにこんなに遠慮するのは、普段母が家事をするのが当たり前になっていたからだ」
と。
しかし一方で、自分が気づいて工夫したことに対して何も反応が得られないと
「せっかくお母さんのためにやったのになぁ」
という感情が湧いてきます。そのたびに、
自分はなんて小さい人間なんだろう、と思います。まだまだ未熟者です。
名もなき家事ってこういうことか。
よく「ゴミ出しはごみを集積所に持っていくだけではなくて集めるところから一連の作業を指すんだ」というようなことを例に
「名もなき家事」について取り上げられています。
それに該当するかは分からないけれど、今回一連の家事をやってみて、
一日の流れを決めること、家にある食材から献立を考えて順序を考えながら作ること、洗濯機を回して、干して、取り込んで、たたんで、しまうという一連の流れ、などなど今までは自分に見えていなかった工程がどんどん見えてきて、一つ一つの動作に時間がかかってしょうがない、という事態に直面しました。
例えば洗濯では、キッチンやトイレにかかっているタオルを回収し、バスタオルも忘れずに回収する、など脱衣所にまとめてある洗濯物以外に洗う物があることにも気を配らなければなりません。
そのような、普段から家事をしていないと分からないようなことも多く、経験が物を言うのだなと感じました。
いくらやり方を知っていても、実際にやらないと分からないことの方が多いし、何より手を動かした方が慣れるまでが速いのだろうと思います。
これから
以前から母に
「料理はだいぶできるようになったから次は洗濯かな~。」
と言われていたこともあり、今回の経験はある意味良い機会だったのかなと思っています。
「これからはきちんと家事をするようにします」
という結論はあまりにもありきたりかなとは思いますが、
ということ、別の言葉で言えば、
ということが分かったのは自分にとって収穫でした。
きっと母は、
「私のありがたみが分かったでしょう」
なんて、いたずらっぽく言ってくるでしょう。
その時は
「いやいや、頑張って看病したんだから感謝してよ」
と返すのではなく、
「はい、もう十分に。」
と答えようと思います。