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34歳♂独身無職実家暮らしの日常⑤ 【父という生き物〜火消し編〜】


これまで、お金にだらしない、性癖に難がある父親という生き物に関していくつか紹介してきた。

上記2点の特徴がある時点で、もう既に一般人が普通だと考える父親像との乖離が生まれていることと思う。

そんな父は、変なところで豪快な行動に出る。



私が実家を離れて4〜5年後、今から5年程前になるが、その頃は父も新たな勤め先でのパート勤務に慣れはじめ、良いとは言えないものの安定した収入は得ることができるようになっていた。

現在の職に着く前は、某大手自動車メーカーの技術職をしており、記憶が正しければ私が生まれてから2回はスカイラインを乗り換えていた。

私は小学生の頃ミニ四駆にはたいそうのめり込んでいたが、嗜好が実車に移行することはなく、その世界のことはからっきしだが、スカイラインと言うと界隈ではそれなりに名の通った車種であるという認識はある。

同じ車種を複数回乗り換えているところから察するに、父としても何かしらの思い入れがあったのだろう。
仕事柄と土地柄が合わさり、自家用車があるのは家族にとって当然の風景だった。

しかしながら前職を辞めてから空白の4年を含め、現職に就くまでの間に家計状況は大きく変わっている。

自家用車というものは、それがそこにあるだけで費用が発生することになる。維持できる経済力はない。

程なくしてスカイラインは車検を通すことができず廃車扱いとなったが、田舎の田んぼの一角に住居を構えたような家なので、余りあるガレージにしばらくの間放置されてあった。

放置されていたのは、父自身のずぼらな性格の所為なのか、名残惜しさからなのかはわからないが、少なくとも車がある生活がその身体には染み付いているようだった。

父の通勤手段は、当初自転車を利用していたが、程なくして車通勤に切り替わった。

現在の収入状況では以前乗っていた車を再登録することもできないし、ましてや新しく乗り換える経済力なんてまだ無い。 

そう思っていたがある日、見慣れぬ軽トラックが置物のスカイラインの代わりに実家のガレージに止まっているのを見つけた。

父の愛車はスカイラインから軽トラックへと華麗に変貌を遂げたのだ。

どうやら、農業を営んでいる父の実兄が仕事で使用していたもの譲り受けたようだ。

もう限界を迎えるその車を乗り換えようかというタイミングで譲り受けたので、お世辞にも綺麗とは言えなかった。農作業に使用されていたので、至る所に泥も付いていた。

そんな軽トラだが、父はしばらくの間軽快に乗り回していた。

中学を卒業してすぐに専門学校に入り、程なくして入社した某有名自動車メーカーを30年以上勤め上げた、言わば自動車整備のプロフェッショナルである父なので、良いように整備して乗っていたのだろうと勝手に推測している。

父の愛車が軽トラになってからというもの、必然的に軽トラが自家用車になった。

以前は父のスカイラインと母用の軽自動車の2台が自家用車としてあったが、父が職を失ってからはやむを得ず自家用車がない暮らしをしていた。

スカイラインを廃車にした後、久しぶりに自家用車がある暮らしだった。

ある日、母がその軽トラを運転しているときに
事件は起きた。

基本的には父が乗り回していたが、
急用で母が軽トラに乗ることも稀にあったようだ。

ある日の夜、急用で母が軽トラに乗って出かけようとしたところ、家を出てすぐのところで違和感を察知した。

母は乗るたびにいつ壊れるかもわからないその
オンボロに常々不信感や違和感を感じていたが、
その時の異変は格別だった。

運転席からも聞こえる大きな爆発音が鳴り、恐る恐る車の後方を見ると、なんと荷台の下から火が出ていたのだ。


幸いにも家から徒歩数秒のところでの爆発であり、母は大慌てで家の中でくつろいでいる父の助けを求めた。

平常心を失っている自分とは裏腹に、何故か余裕を醸し出している父に母は苛立ちを覚えながら、自動車整備のプロフェッショナルを現場に召喚した。

車から火が出ているという、今までに経験のない緊急事態に狼狽えている母。

そんな母に父が言い放った一言は、

「水かけぃ」

であった。

父は中学を卒業してすぐに専門学校に入り、程なくして入社した某有名自動車メーカーを30年以上勤め上げたプロフェッショナルである。

そのプロフェッショナルが言い放ったのは

「水かけぃ」

であった。

パソコンなんかも同様だが、その手のハイテク機械の不調に対して、素人は簡単には手を出せないものだ。

安易に手を出してしまったが最後、改善されるどころかとどめを刺してしまうのではという不安が自然と浮かぶからだ。

そういう人は、まずその道の識者に助言を求め、専門的な解決策を期待する。


今回の場合、火が出ているということから真っ先に水が思い浮かぶが、水をかけることが果たして最善策なのか、水をかけたことによってその他に不調を来さないか、車が二度と動かなくなるのではないか、より効果的な解決策があるのではないか。

幸いにも数秒離れたところに識者がいるではないか。母は咄嗟にそう思ったことだろう。


しかし今回の識者は、

「水かけぃ」

という、驚くほど豪快で原始的な助言を行ったのだった。



それから数ヶ月後、軽トラは廃車になった。
しかしながら、ボヤ騒動の後しばらくは乗り回していたというのだから、日本の技術力は本当に大したものだ。

しばらく乗り続けられていたことから、
もしかすると、全てを総合的に考慮した専門的な、プロとして最適な助言だったのかもしれない。

そもそも、火を吹くほどのオンボロ車が車検を通過できるのかという疑問もあるが、今となってはあえて触れていない。

廃車になった後に、やはり車のない生活は考えられないと思ったのであろう父は、中古の軽自動車を購入した。

屋根もない砂利の駐車場に車が数台並んでいるだけの小さな中古車店で購入したその車は、諸費用込みで10万円だった。
入門用のロードバイクが買える程の値段で購入されたその車に一抹の不安を覚えたが、すぐに安心した。

なぜなら、火が出た時は、水をかければいいのだから。





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