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Stop the war

情景だけ覚えてる。

中学2年生の時。何度目かの呼び出し受けた、中学からの帰り道。

工業地帯の一本道で、母ちゃんが右前歩いて、僕が左後ろ歩いて。

話しかけるんだけど、ひたすら先を歩いて行っちゃう。

ショックで、そのままシュンてなって。

一緒に帰るんだけど、どんどん距離が遠ざかっていく。

それだけをすごい覚えてる。

母ちゃんとは仲悪いわけじゃなかった。

むしろ友達いなくて、話し相手がいなかったから、母ちゃんとは結構色んな音楽の話とかしてた。

母ちゃんに「この曲いいんだ」ってやたらと曲を聞かせてた。CDをリビングに持ってって「これ聞いてくれ」「これ超いいんだ」みたいな。

例えばヒップホップだったら、こことここが対立してて、このアーティストはこうで、今歌ってんのはこんな感じ!みたいな説明をして。

母ちゃんはすげえ聞いてくれるし、母ちゃんもすげえ知識ついてくるから段々音楽の話が合うようになってくる。

音楽も考古学も「いいんじゃない」って、基本的には僕がやることを応援してくれてた。

中2ぐらいの時、吉村作治先生の講演会に僕を連れてってくれて、生の吉村先生の話を聞いて「やべえ、超すげえ!」って思わせてくれたり。

ちょいちょい人生のヒントみたいなものをくれてた。

そんな人をここまで悲しませてしまった。

そして、オレ超カナシイ。

そんな感覚だった。


授業ボイコット

小学6年生でアメリカから帰って来て、日本の小学校に通い始めた。

3歳から小5までずっとアメリカ。日本人学校にも一応週1で行ったけど、普段通ってたのは現地の公立学校で人種のるつぼだった。

アメリカと日本で勉強の進み方が違うんだけど、小6で帰って来てからもついていけなくて、さらに差がついた。

で、小学校で大して友達もできず、1年で引越した。新たに入った中学も、みんなは卒業した小学校の学区から集まってくるから、元からみんなお互い知ってる状態。

「やべえ、またこのアウェイ感始まったよ」みたいな感じだった。アメリカの小学校で感じたのと同じ感じ。

友達できないし、勉強できない。ずっと音楽聞いてた。ヒップホップからロックにいって、ガンズとかボンジョビとかのハードロック。

あと、元々BMXに興味があって、小学校のときアメリカでよくダートジャンプじみたこととかを遊びでやってたんだけど、その流れで二輪とかバイクに興味が出てきて、単車とかアメリカンとかそういう雑誌を教室で読んでた。

中1でバイクの雑誌読んでるのなんて、ヤンキーしかいない。「お前何それ?見せてよ」「いいよ」とか言ってヤンキーのやつらに見せてたら、ちょっと仲良くなり始めた。でも、僕は別に暴走したいわけでもなかった。

ヤンキーの人たちは超絶馬鹿で、勉強もできない。でも、いい奴だった。

授業中にシンナーとかトルエンとか吸って、周りから「すげーくさいんだけど」みたいに言われて、歯がどんどんなくなっていく。そういう人達。そいつらぐらいしか、授業中にまともじゃないやつはいなかった。

僕が勉強できなくて、同じ感じだって思ったのかもしれない。勉強できないやつは仲間だみたいな。

そいつらはすげえふざけてて、よく授業をボイコットしてた。

先生が教室に入れないようにドアを固めたりとか、机を積み上げたりとか、窓から机を投げちゃったりとか。そういう悪ふざけをしてたの。

自分もそれに乗っかって、なんか色々やってた。机を燃やしてみたり。

修正液ってすげえ燃えるんだよね。修正液ブシュー!ってやって、知らないやつの机ボー!って燃やしてワーッ!!みたいにしてた。


ゴキブリチョーク事件

それである日、数学の授業。

Sっていう女性の数学の先生の授業。僕数学一番苦手だから、一番嫌いで。

そのS先生が自分らの悪ふざけでパニックになって、あんたたちなんとかかんとかでしょー!って言って、バン!ってドア閉めて一回出てったの。

で、出てった時に「よし、しめしめ。」って先生が持ってきてたチョークケースをガシャって開けて、チョークをバリバリにして、ゴキブリの死骸を何匹か入れて、そこにヘアムースをブシューってやって、ガシャって閉じて、置いとく。

先生が冷静になって帰ってきて「じゃあ続けます。」って言って、カシャって開けて。

「あれ、なんだこれ?」みたいになって、ムースの中を探るじゃん。

そうするとゴキブリが出てきて。もう1回パニック。

その先生、それで辞めちゃったんだよね。

当時は、「学校辞めちゃって、お前らのせいじゃね?」みたいな感じになっても、あんまり悪気もなかった。

「うぇーい、やってやったぜ」「クーデター成功〜」みたいな感覚でいた。


全校生徒無視

多分ね、人を傷つけたくてそういうことしてた訳じゃないんだよね。

どうせ自分は勉強できないし、する気もない。

だから先生なんかに用はない。

だから来るな。

自分の世界に入ってきて欲しくなかった。拒否してた。いくらその人が僕に教えてくれたとしても、僕はそもそも信頼してない。「自分は努力しても無理だから」って思ってた。

そんな感じで2年生になって、ある日、全校生徒から無視されるようになった。

あんまり覚えてないんだけど、クラスで一番の人気者の男子に対して何か言ったんだよね。

なんかこう、こいつは良くないことをしている、良くないことを言ってるみたいに思って「それはなんかお前違くない?」みたいなことを口走っちゃった。

そしたら、「は?こいつ無視しようぜ」みたいになって。

で、もう翌日。

誰に話しかけても、誰も反応しない。上履きに画鋲が100個くらい入ってる。体育終わったら、制服のズボンがバリって切られてた。

ショック。

こういう風になるんだ、って思った。

中1の頃は、ちょっと強かったんだよね。自分から授業をボイコットしてたから。

でも、中学2年の2学期、人に拒否され始めてから、自分が拒否する前に人に全面拒否されてからやられた。

精神的に完全にやられた。

そっからすごい孤独を感じて、ヤンキーのやつらともあんまりつるまなくなった。


バーニングファイヤーインザトイレット

ヤンキーのやつらは僕へのいじめには加勢してない。けど、彼らは彼らでクラスの人たちとうまくやってたから、なんとなくやつらも「あー、岡やっちゃったな」みたいな感じだった。

ヤンキーのやつら以外、ほぼ全校生徒に無視されて、授業終わったらすぐ家帰って音楽聞いて。

孤独だなあって思ってた。

で、そっから、火炎瓶の開発始めた。

小学校のときから火薬に興味あって、爆竹を解体して、爆竹の巨大バージョン作ったりとかしてたんだけど、それの延長で火炎瓶開発して。家の裏の駐車場で、夜中人いない時にコンクリの壁に向けてバリン、とかやってた。いろいろ組み合わせて「飛行式爆弾」みたいなのを作ってみたりとか。

まあまあ楽しかったんだよね。別に人を傷つける気はなくて、ストレス発散みたいな感覚だった。

そういうことやってた時に、ある日自分の学校を燃やしちゃった。

ライターとか色んなスプレーを掛け合わせた自家製火炎放射器を作って、どうせ友達もいないし腹いせだみたいな感じで、トイレに文字か何か書こうとしたんだよね。

それでガーってやってたら、思ってたより燃えて「やべえ、燃えた。。やべえやべえ!」ってガシャって中から出たら、1人同級生の奴がいて、そいつが「わー、燃やした!!」ってバーって走って行って、先生にチクって。

もう大騒ぎ。消火器で火消して。

結果、母ちゃんが呼び出されて「深刻な事態が発生しました」と。

「今回は警察には出さないけど、推薦だとか内申点とか学校としての評価は最低なので、将来はない」「お前はこういうこともあったし、高校も行けないし、就職もできない」

ヤンキーのやつらが全員行ける滑り止めの高校があったんだけど、そこにも行けないって言われたの。

自分は単にバイクと音楽が好きっていうだけで、別に暴走とかはしてない。ヤンキーのやつらは外で散々悪い事して、捕まったりとか喧嘩したりとかしてる。

「暴走してないのに、そんな評価おかしいだろ」って思ったんだけど、「よくよく考えたら、おれ暴走してないけど火炎瓶作ってた。うーん、確かにそういうことか。」って冷静に分析したりしてた。


ストッパー母ちゃん

母ちゃんは僕がなんか悪いことするといつも怒ってくれてた。

でもその日だけは怒んなかったんだよね。

完全無視。

学校の帰り道からずっと。

それまでも何回か呼び出しみたいなのはあって、その日もいつも通り「ごめんね、またやっちゃった」みたいな軽いノリで言ってたんだけど、完全無視。

そのあとも2日ぐらい無視されて。

それがすごくショックだった。

学校のどうでもいい奴らに無視されるよりも、母ちゃんに無視されるのが一番ショック。

悪いことをしたって認識してなかったんだけど、無視されて初めて「あー、おれはそれだけのことしたんだな」って気づいた。

ようやく口聞いてもらえるようになって、母ちゃんに「おれ色々悪いことしちゃって高校も行けないだろうし、アメリカ行くわ。アメリカ行ってカルフォルニアでサーファーになるわ。それか、日本の米軍入る」って言ったら、怒られた。

「1年間ちゃんとやってみなさい。悪いことしたかもしんないけど、1年くらい真面目に勉強してみたら何か見えるかもよ。やってもいないのに泣きごと言うな」って言われて。

それで素直に「やってみます」って1年間勉強したら、成績が上がったんだよね。中2の3学期から勉強始めて、中3の1学期、2学期と点数が全部ひっくり返って、0点だった数学が100点になった。

「おれ天才なんじゃないか」みたいな勘違いするぐらいで、高校も受けられるようになった。

相変わらず友達はいなかったけど。


家族が刺してくれた釘

母ちゃんが「ちょっとはまともなことやってみなさい」って言ってくれて、それをそのままやってみた。

そこが転換期。

そのままいってたらどうなってたかわかんない。

ヤンキーはヤクザにスカウトされるとかあるけど、そっちじゃなくて、多分テロリストとかだったかもしれない。

妹も、その当時「ゆうきは荒れちゃってどうなっちゃうんだろう」みたいなことを言ってた。「ゆうきはどんどん変な方行っちゃうから心配だ」って。

でも本人は「これが普通だ」みたいに思ってるから、それに気づかない。

妹は勘付くんだよね。僕がちょっと良くない方向に行ってるとすぐに。妹とすごい仲良かったから、夜、妹の部屋で色々話をするんだよね。「燃やしてやったぜ」みたいな話はしないけど。「すごい不安だ」みたいに言ってた。

兄貴は今と違ってそのころはかなりゴーイングマイウェイで、あんまり兄弟に関心を示さない感じだったし、仲悪くて喧嘩しまくってたし、いつも兄貴にハサミかなんか振り回したりしてたけど、妹と母ちゃんは相当心配してくれてた。

先生は心配とかでは全くなくて、僕のことなんか死んでくれって思ってたと思う。暴れるし、物投げるし、完全に拒否、シャットアウトしてたから。

母と妹の二人が、ガシッて思いっきり釘を刺してくれた。

「こういうことをしてはいけない」じゃなくて「自分がこういうことをすることによって、大切な人が悲しむからしてはいけない」っていう順番で、いろんなことをやめた。

実際、先生に対して色々やったり拒否していたことそれ自体は「いけないことではない」と、その当時はすごい思ってて。

自分はこれしかできない、こういう表現しかないみたいな感じだった。

けど、それをやることで悲しむ人がいるんだったらそれはやらない方がいいなって思って、やめた。

ヤンキーの人たちとの縁もその日限りで切った。電話して、おれもう遊び行かないからって言って。

でも、行こうぜって家に迎えに来る。一回出たことあるんだけど、母ちゃんに「出ちゃだめよ」って言われて「帰ってくれ」つって断った。

毎回帰ってくれって言い続けたら、もう来なくなった。


あいつ、やっちゃったな。

ぐれちゃうとか荒れてるとか事件起こして鑑別所入っちゃうとかそういう子たちは、なんとなく当時の自分と似てんじゃないかなと思うんだよね。

追い詰められて、孤独で、どうしようもないからやる。

多分そういう子たちも鑑別所とか入って親の悲しむ姿を見て「やべえ、やっちった」ってなって、更正していくんだと思う。

でも、そこに親とか本気で心配してくれる人がいないと、悲しむ人がいないから、繰り返しちゃう。

だから、その状態のまま殺人ぐらいまでいっても、そのことが悪いことだってその人は多分思えないんだよね。

殺人までいったとしても、結構まともな感覚でやっちゃうんだと思う。

例えば、当時の僕が、教務室で先生から殴られて、かっとなってそこに置いてあった何かで反撃して死なせたとしても、「おれはやられたからやり返した」。それだけ。

でも、違うじゃん。火炎瓶作って病んでたやつが先生殺した、っていうニュースだけが出て「うわーあいつやっちゃったね」みたいな。

実際は、悲しむ人がいないとか、色んな条件が噛み合わさって事件って起きちゃうような気がしてる。

「こういうことをしてはいけない」じゃなくて「自分がこういうことをすることによって大切な人が悲しむから、してはいけない」って順番じゃないと、歯止めがきかないんだよね。


エピローグ

もちろん今は、言葉とかで心理的にも勝てるって思うから、自分がやられたからって簡単にやり返したりはしないよ。

もう今まで十分周りの人を悲しませてきたから、こいつごときにまた自分の親とか兄弟を悲しませるような事はしたくないと思って、そこで抑えられる。

でも、5年に一回ぐらい結構超絶怒るときがあって、その時は必ず家族が絡んでるかもしれない。

今の自分を作ってくれた家族に対して何かあったとき。

例えば昔ね、駅前で兄貴がカツアゲされた、みたいなことがあると、もう大量に武器を持ってとりあえず駅前をぐるぐる探して回るとか。

あと20歳くらいの頃、六本木の街を家族で歩いてたとき。

ちょっと先歩いてたのね。後ろ振り向いたら、妹がヤンキーっぽいキャッチっぽい奴に絡まれてて、そん時は超絶頭にきたんだよね。

ぶん殴ったりしないけど、すごい冷静に「あ、こいつコロそ♡」って思って、すーっと近づいて行って、「あなた、今すぐそれ止めないと、コロしますよ♡」みたいなことを言って、「え・・す、すみません」みたいな感じになって終わったんだけど。

そういう大事な人に対して何かがあった場合は、超絶怒るかもね。

あと、最近だとポケモンGOとか。

もし、誰かが、僕の大切な友人や家族にぶつかって謝らないでポケモンGOやり続けるような素振りを見せた日には、そのスマホを取り上げて、モンスターボール見っけ!!とか叫びながらどこか遠くへ投げることでしょう。

ヤーマン!!

(了)

---『another life. × 岡勇樹 〜私ガ社会問題デス(仮)〜』マガジンにて連載してまいります。次回にもぜひご期待くださいませ---

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